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日本とアラスカの意外な関係 ベーリング海からの尋ね人

2025年1月6日刊行
野口泰弥(国立民族学博物館助教)

太平洋最北部のベーリング海にヌニバク島という島がある。米アラスカ州に位置し、富山県と同じくらいの大きさであるが、人口はたったの200人程度だ。島民の多くはチュピッグという先住民である。豊かな自然を目当てにした写真家やハンターが時折訪れる他に、来島者もほとんどいないベーリング海の孤島である。

2024年7月の調査時、島民から意外な依頼を受けた。昔この島に住んでいた日本人男性のことを調べてほしいというのだ。彼らの話によると、その男性はおそらく19世紀中ごろから20世紀初頭に島に流れ着いた漂流民だと推定され、島の女性との間に子供もいた。島では単にチュピッグ語で「Maacimatur」と呼ばれていたため本名は伝わっていないが、今でも子孫がアラスカの都市部で暮らしているという。彼は最終的に日本に帰国したらしい。

魚網から作られたバッグ=ヌニバク島メコリヤック村で2024年7月、筆者撮影
魚網から作られたバッグ=ヌニバク島メコリヤック村で2024年7月、筆者撮影

にわかには信じ難いが、荒唐無稽な話でもない。海運が発達した江戸時代は海難事故が多発しており、実はその中にはアラスカ方面に漂流した者もいた。アラスカのシトカ市には日本人が漂着したことにちなんで名付けられた島まである。

有名な漂流民として井上靖の小説『おろしや国酔夢譚』で取り上げられた船頭の大黒屋光太夫と、日本人で初めて世界一周を果たした津太夫らがいる。両者は18世紀末に日本近海から漂流の末、アリューシャン列島に漂着した。そこで先住民のアリュートとロシア人に救助され、紆余曲折を経て無事に帰国できた。彼らは鎖国下の時代に、異国の貴重な情報を日本に伝えた。

確実な記録は見当たらないが、私見ではヌニバク島に漂流民がいてもおかしくはない。この島には時折、日本からの漂着物が流れつくためである。近年はほとんど見かけなくなったというが、島民の家にはたいていガラス製の日本の浮き玉が飾られている。海岸で拾った日本のウイスキーボトルを見せてくれた者もいる。かつては漂着した日本の魚網からバッグが作られたりもした。網糸から作られたバッグは丈夫なため、今でも使用している者がいる。

しかし、不可解な点があるのも事実だ。日本人男性の息子は1930年生まれという。というと少なくともその頃まで、男性は島にいたのだろう。何十年も住み続けたのならば話は別だが、この時期までに漂流事故はほとんど発生しなくなっていた。戦前には毎年、数千人規模の日本人労働者がアラスカに出稼ぎに行っていたとされるため、彼は漂流とは別の事情で島に滞在していたのかもしれない。

理由は何であれ、かつてこの島に日本人がいたのは事実だろう。彼が何者で、どんな人生を歩んだのか興味は尽きない。ベーリング海を眺めながら遠くて近き日本に思いを馳せた。