トランシルヴァニア、南から見るか?西から見るか?
私が調査を行うブラショブ市は、東欧ルーマニアのトランシルヴァニア地方に位置する。このトランシルヴァニア地方の名産品のひとつにプラムの蒸留酒がある。ルーマニア語で「ツイカ(tuică)」と呼ばれる酒だ。
日本でこの酒を紹介すると、同じプラムの蒸留酒でも「ルーマニアの酒がツイカで、ハンガリーの酒がパリンカ(pálinka/ハンガリー語表記)だ」といわれることがある。しかし、実際はそう一筋縄ではいかない。
確かに、パリンカはEUの保護制度でも認証された「ハンガリーの蒸留酒」だ。ところが、私の調査中にとあるルーマニア人からまったく別の話を聞く機会があった。曰く、どちらもルーマニアの酒で、一度蒸留したものがツイカであり、二度蒸留するとパリンカ(pălinca/ルーマニア語表記)だという。
これはどちらかが正しく、どちらかが間違っているという話ではない。
地理的にトランシルヴァニア地方はカルパチア山脈によって他の地域から区切られた場所で、首都のブカレストがあるワラキア地方がその南側に広がっている。西側にあるハンガリーは今でこそ隣国だが、トランシルヴァニア地方は1918年までオーストリア=ハンガリー帝国の領地だった。また、ブラショブ市はサクソン人移民によって作られた街だ。しかし、地域人口の多くはルーマニア人だったようだ。
そこでは少なくとも数百年に渡って、多数派のルーマニア人、ハンガリー系のマジャール人、ドイツからやって来たサクソン人移民、 そして他にも多様な民族が共存・共生してきた。その中で、それぞれの言語や生活様式などの差異が保たれながらも、部分的に重なり合い、混交してきたのだ。
そうした人々の生活を国家という枠組みできれいに区切ることはできない。しかし、同時に国民国家的な枠組みもまた大きな影響力を持っている。結果として「ハンガリーの酒かルーマニアの酒か」と対立的で排他的な構図が現れてくる。もちろん、そうした二項対立に還元できない人々の語りや想いも存在する。
このように捉えてみると、たった一つの酒の中にも、複数の意味や認識が折り重なった「パリンカ」の姿が見えてくる。それは、まるで見方によって味わいが変わるかのようでもある。



