ヒマラヤ越えの交易民のいま
2026年3月2日刊行
南真木人(国立民族学博物館教授)
2025年1月、武蔵野美術大学名誉教授・田村善次郎氏編著の『ヒマラヤ旅日記―ネパール ポンモ村滞在記』(以下、旅日記)が出版された。1968年に田村氏を隊長とする西部ネパール民族文化調査隊が、西ネパールのドルポ地方で実施した調査記録である。
2カ月滞在したポンモ村について、20世帯126人の氏名や各世帯の家畜数、中継交易の交換率などの詳細が記され、当時の暮らしが浮かびあがる。写真も多く載り、同隊が民具も収集していたことを知った。ドルポの企画展を準備していた私は、民具や写真を借りるべく田村氏と武蔵野美術大学の民俗資料室に連絡した。思案していたドルポ地方の行き先も、ポンモ村にした。村人に旅日記を届け、57年間の変容を調査するためだ。
25年9月、首都カトマンズからプロペラ機を乗り継ぎ、歩くこと3日で標高3300メートルのポンモ村に着いた。旅日記は多くの村人に回覧され、驚きと感嘆の声があがった。ある人は「3歳の時に母と死別した。今日はじめて母の顔を見たも同然だ」と目を潤ませた。口絵にある人物写真の27人中3人だけが存命で、歳月を実感させられる。それでも、母に抱かれた1歳の時の写真が載るミギャール・ラマ氏(58)は写真にうつる村人を識別できるといい「絵師だった父は弟子にしたヨゴサーブ(民俗学者の神崎宣武氏)の話をいつもしていた。サーブは帰国後、日本の紙と絵の具を送ってくれた」と懐かしむ。請われて、ラマ氏の世帯の説明箇所をネパール語に訳して読んだ。「村第2の金持ち。金持ちはケチである。ここだけは何も出ない。トバ(スープの類)を作っても私たちが帰るまで食べないで待っている」のくだりには、ラマ氏も大笑いだった。
ミギャール・ラマ氏(中列右端の幼児)の世帯=ネパール・ポンモ村で1968年、西部ネパール民族文化調査隊撮影
村の人口は42世帯約240人に増えていた。ただし在村者は少なく、夏営地で家畜の世話をするのは女性たちだ。最大の変化は、チベットの塩とネパールの穀物を交換するヤクを用いた中継交易がほぼ消滅したことだ。米などの物資は、郡庁所在地ドゥナイの店に携帯電話で注文すると翌夕には請負運搬人がラバで届けてくれる時代になった。ヒマラヤ越えの交易は厳しい環境の高地で利潤を生む不可欠の生業だったが、何に活路を見出だしたのか。考えうるのは、漢方薬となる冬虫夏草の採取である。冬虫夏草は乾燥重量1キロ130万~240万円という高値でチベット側に買い取られ、ドルポの人々を潤しているのである。
みんぱくでは企画展「ドルポ――西ネパール高地のチベット世界」を12日から開催する。展示ではポンモ村の民具と58年に西北ネパール学術探検隊が集めたドルポの資料から、その暮らしと約半世紀の変容を探る。過去を現在につなぐのは、異色の美容師であり、ドルポ探求家・写真家である稲葉香氏が撮影した珠玉の写真である。この機会に、ぜひご覧いただきたい。
