東洋学者アントワーヌ・ガランの知的形成と『ガラン版千一夜物語』の創作過程の解明(2022-2025)
科学研究費助成事業による研究プロジェクト|基盤研究(C)
西尾哲夫
目的・内容
アラビアンナイト(千一夜物語)は、なぜ世界文学となったのだろうか?これまでの研究から、アラビアンナイトを一つの文化現象と捉えることで、逆説的ではあるが18世紀初頭にアントワーヌ・ガランが初めてフランス語に翻訳して一大ブームとなった『ガラン版千一夜物語』こそが、アラビアンナイトの原点であるという結論に至った。本研究では、ガラン版の成立において翻訳者としてしかみなされてこなかったガランが、どのような素材をどのように加工して作者としてテクストを創作していったのかを分析し、さらにその創作過程の背景にあるガランの知的環境が、当該の物語の創作意図やテーマ設定にどのように作用したかを分析することで、なぜアラビアンナイトが世界文学となったかという基本的な謎をその原点まで遡って明らかにするとともに、さらにその知見をもとに人間にとって物語とは何かを考えるための新たな理論的視座を提示する。
活動内容
補助事業期間中の研究実施計画
研究の第一段階では、物語を翻訳の底本や素材がどの程度確定しているかによって三グループに分け、1)確定済みの第1グループに対しては物語加工のタイプを整理する。2)未確定の第2グループに対しては準備研究で選定した写本の文献言語学的分析で素材テクストを確定させ、整理済み物語加工タイプと比較してタイプを修正する。3)第3グループのアリババのようにガランの日記に素材民話の梗概のみが残されている物語に対しては、物語加工タイプの修正に加え、ガラン版に不採択だった素材民話との比較を通して、ガランがアラビアンナイトにどのような物語がふさわしいと考えていたかを分析する。
具体的には第一段階前半で、①ガラン版とガラン写本の対照分析によって物語加工を誤訳・削除・加筆・超訳に分類し、②翻訳底本の見当をつけた写本(フランス国立図書館所蔵)の文献言語学的分析で同定する。次に第一段階後半で、①《孤児の物語》について日記に残された梗概と比較しながら物語加工のタイプを分析し、②上記作業にあわせてガランによって採用されなかった他の物語との比較から相違点を分析する。研究の第二段階では、第一段階で得られた外形的物語加工タイプを、物語情報学的研究で得られた物語拡張の三層構造に係る理論的作業仮設に従って、(A)モティーフを基点とする物語の内在的構造からの物語拡張、(B)社会環境・自然環境・メディア環境の外在的要因による物語拡張、(C)歴史心性を超えた作者の創造的行為による物語拡張に再配置する。個人的価値観が明示的に表れている日記や旅行記等の分析によって、物語の根源的テーマ変容に作用したガランの価値観を明らかにし、(C)の物語拡張への影響を分析する。最後に世界文学として最も受容されたアラジン、アリババ、シンドバードをとりあげて、ガランの創造的物語加工がいかにして各物語を普遍的なテーマに繋げることになったかを考察する。他者を内面化する物語空間発生モデルを想定し、内面化のレベルで「アリババ⇒シンドバード⇒アラジン」と類型的に進化していくと示すことで小説の歴史類型論の可能性についても考察する。
具体的には第二段階前半で、①三つの超域的な知的ネットワークに焦点をあて日記や手紙から知的情報源を分析し、②異文化を記述した中東旅行報告書をもとに女性観やイスラーム観に焦点をあて分析する。次に第二段階後半で、①物語加工タイプをアリババ、アラジン、シンドバードの物語に適応し、物語構造の内的要因と外的要因による変化を分析することで、ガランの意図的な創作部分を明示化し、②アリババは類似民話との比較分析、シンドバードは異文化環境の伝承との比較分析、アラジンは児童文学テクストとの比較分析を通して、ファンタジーとしてのアラビアンナイトの発生メカニズムを解明するために物語空間発生モデルによる小説の歴史類型論を提出する。