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沖縄の年中行事と歌 (2021年2月)

(1)旧正月の綱引き

2021年2月6日刊行 岡田恵美(国立民族学博物館准教授)

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黒島・東筋集落の綱引き、筆者イラスト

沖縄で過ごした8年間、数々の伝統行事に足を運んだ。その一つが綱引きである。綱引きと言えば、運動会の定番競技であるが、東・東南アジアでは伝統的な祭祀行事であった。殊に沖縄では稲作や雑穀栽培の周期と関わって、五穀豊穣を祈願する年中行事の中で綱が引かれた。沖縄県で唯一、正月を祝う旧正月に行われる綱引きが、八重山諸島・黒島の世引き(ユーピキ)である。

黒島の東筋集落では、金鼓隊の猛々しい合図と神司の登場によって正式に行事が始まる。居住区域で北(ニシ)と南(パイ)に分かれ、歌合戦や手踊り合戦、棒術と呼ばれる青年2人による激しい殺陣で熱気も最高潮となったところで、綱引き勝負である。

綱は雄綱(図のA)と雌綱(同B)と呼ばれる2本の先端の輪にカヌチ棒(同C)を通し、北が勝てば豊漁、南が勝てば豊作と伝承されてきた。現在の黒島は畜産業が主要で農業従事者はいないが、南を勝たせる風習は継承されている。綱引き後には、海の彼方ニライから弥勒(ミルク)が豊饒をもたらすというニライカナイ信仰に基づき、釈迦(サーカー)と弥勒に扮した2人が酒と五穀の種子を交わす。

島民230人程の黒島であるが、伝統行事には各地から帰郷する出身者も多い。コロナ禍で全国的に年中行事が中止となり、郷愁は募ると同時に、その無二の存在に気づかされる。

(2)消えゆく伝統歌唱

2021年2月13日刊行 岡田恵美(国立民族学博物館准教授)

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黒島・東筋集落の綱引き歌の歌詞=2019年2月、筆者撮影

沖縄県で唯一、旧正月に綱引きが行われる八重山諸島・黒島。かつては民謡の宝庫と言われ、綱引き行事も南北の交互唱による<正月ユンタ>から始まる。ユンタとは、日常の労働を歌った八重山民謡の一種。その冒頭の歌詞「今日が日ば元ばし/黄金日ば元ばし/ううやき世ばなうれ」(キユガピバムトゥバシ/クガニピバムトゥバシ/ウウヤキユバナウレ)は、元日の今日、豊穣を願うという歌意である。

歌詞は会場に掲示されるものの、全てを歌唱できる島民は減少しつつある。かつて琉球王府の支配下で重い人頭税を抱え、相互扶助が生命線であった時代には、日々の協働作業の中に共に歌う行為や歌が生きていた。だが、畜産業や民宿業が主流の現在の黒島において、共に歌唱する機会は限られている。日本全体を見ても、労働歌が本来の脈絡で歌われることはない。

また倫理観の変化に伴う、歌の消滅も各地で見られる。綱引きのような年中行事では、自集団の力を誇示して他集団を揶揄する行為は珍しくなく、それを歌唱に発展させた「ガーエー歌」は競争原理に基づく年中行事では不可欠であった。しかし、時代的な倫理観の変化から、ガーエー歌は歌われる機会を失いつつある。消えゆく伝統歌唱をどのように記録し、次世代へ継承していくのか、その挑戦が今、問われているように思う。

(3)海人と糸満ハーレー

2021年2月20日刊行 岡田恵美(国立民族学博物館准教授)

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3地区が鎬を削る糸満ハーレー=2015年6月、筆者撮影

沖縄県内の海沿いの地域で主に旧暦5月に開催される年中行事が、爬竜船競漕である。中でも沖縄本島南西部の糸満漁港で、旧暦5月4日に行われる「糸満ハーレー」には多数の観光客も訪れ、賑わいを見せる。

海人(漁師)の多い漁港周辺の西村・中村・新島の3地区が競い合う。その起源は15世紀ごろに同地域の城主であった汪応祖(おうおうそ)が、明への留学時に見た爬竜船競漕を模して開始したなど諸説ある。競争原理に基づく行事ではあるが、現在も海人にとっては、航海安全と豊漁祈願の祭祀行事の一面を持つ。

爬竜船は8メートルのサバニ(木造漁船)に各地区の模様が施されている。地域の中学生や職域集団が参加可能な種目もあるが、最も重要なのは、漁協青年部に所属する現役の海人のみで行われる「御願(うがん)バーレー」である。当日の朝、漁港近くのサンティンモーの丘で祝女(ノロ)と3地区の代表が御願を行い、丘の上からの旗の合図で、850メートルの距離を3地区の海人がサバニで競漕する。

沖縄の伝統行事の中には、観光・地域振興策による大規模なイベントと化す過程で、参加者や観光客の利便性から週末開催に移行する行事もある。だが、この糸満ハーレーは本来の海人の祭祀・祈願を何よりも大切にし、旧暦5月4日開催の伝統が誇りを持って海人に継承されている。

(4)ハーレー歌 再び

2021年2月27日刊行 岡田恵美(国立民族学博物館准教授)

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大漁旗を背景に地域住民が出場する糸満ハーレー歌大会=2015年6月、筆者撮影

沖縄本島南西部の糸満漁港において、旧暦5月4日に開催される糸満ハーレー(爬竜船競漕)では、3地区の現役の海人が勝敗を競う。そして勝利した順に、漁港近くの白銀堂の御嶽(うたき)前で、「ハーレー歌」を奉納する。その歌詞は3番で構成され、首里の王の治世や豊見城城主をたたえた後に、村の男たちをお守り下さいとノロ(祝女)に祈願する内容である。

糸満漁協に所属する海人は年々減少している。同時にハーレー歌を歌唱できる者も減り,一時は録音音源を用い、消滅の危機に陥った。そこで市内の複数の団体が協賛し、ハーレー歌を課題曲とした歌大会の開催が始まった。毎年、地域の保育園・小学校や音楽団体が多数出場する。開催から10年以上を経過して、コンテストという新たな競争原理の中で、次世代へのハーレー歌の普及に確実に効果が表れている。

ハーレー歌は、海人による奉納歌であるため、歌が本来の脈絡から逸脱して普及することへの葛藤が当事者に無いわけではない。だが、沖縄の伝統的な年中行事は二極化の傾向にあり、自治会や青年会の加入の減少で年中行事の維持が困難な地域も少なくない。その一方で、この糸満ハーレーやハーレー歌のように地域に支えられて復興している年中行事があるのも事実である。