コロナ禍にある村からの便り
新型コロナウイルス感染症の拡大により、他者に対する寛容の精神が失われつつある中でも、つねに自分の考えや行動に反省を促してくれるのは調査地の人々である。私でいえば、南米、ペルー北高地のパコパンパ村の人々がそれにあたる。海抜2500メートルの小さな農村で暮らす人々との最近の交流を紹介したい。
私自身が感染の恐怖を感じていた昨年6月、村で感染者が出たことを知り、それまで日本のことにばかり気をとられていた自分を恥じた。感染すれば、村のような劣悪な医療環境で暮らす住民がまず犠牲になることは自明の理である。そこで、すぐに同僚のペルー人にマスクやアルコール、医療用石けんの入手を依頼した。日本と違い、ロックダウンが発令されていたペルーでは、物資の調達ばかりか都市間の移動もままならない状況であったが、なんとか荷を村に届けることができた。物資の分配はきちんと行われ、謝辞のメールに添えられた写真には、不安に駆られた村人の姿があった。これだけの話ならば、赤十字や国境なき医師団を通して送る義援金の話とたいした違いはない。
じつは、この話には続きがある。もっとも今度の行動主体は村人であった。9月、感染がいったん収まったとの知らせには、あるプロジェクトの開始が記されていた。ジャガーの姿を かたどった石彫が置かれた村の広場の整備を始めたという。石彫は、私がここ15年ほど調査を続けるパコパンパ遺跡から出土したもので、2800年前の貴重な文化遺産である。資金には、感染症で疲弊する地方経済に対する国からの支援金があてられた。
日本の3倍強の感染者、5倍以上の死者を出し、疲弊しているペルーの山村でさえ、経済回復の第一歩として選んだのは、村の文化遺産の整備であった。渡航もできず、何もできないなどと同僚と話していた私は、自らの想像力の欠如に狼狽した。文化遺産をこれほどまで身近に感じていたとは。その思い入れを育んだ責任は私にもある。今、自分に何ができるのだろうか。反省の旅路はどこまでも長い。