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ネパール現在進行形 (2021年6月)

(1)川べりでの火葬

2021年6月5日刊行 南真木人(国立民族学博物館教授)

ガートで火葬する様子
ガートで火葬する様子=カトマンズのパシュパティナート寺院・アルヤガートで2017年1月、筆者撮影

4月に入り、インドでは新型コロナウイルスの感染が爆発的に拡大している。隣国ネパールでも5月上旬には、1日の新規感染者が9000人を超えた。ネパールの人口は2970万人なので、日本に比べても急速な広がりである。首都カトマンズでは、犠牲者の遺体を遺族から隔離するため、聖地パシュパティナート寺院に隣接する電気を用いた火葬場で火葬するよう政府が命じている。

先日、日本でテレビニュースを見ていて「あれっ」と思った。犠牲者が急増し火葬場がいっぱいとなり、川べりで火葬するに至っていると報じられていた。映像もあり、事実に間違いはない。だが、そのナレーションではもう一つの事実が隠されてしまう。ヒンドゥー教徒である多くのネパール人が普段から、聖なる川のほとりに作られた火葬台(ガート)で、まきで遺体を火葬し遺灰を川に流しているという事実だ。ガンジス川に通じる川に還すことで死者は輪廻から逃れられると人々は信じており、遺骨を残さず墓も作らない。元々この火葬場はまきが高くて買えない貧困層のために建てられたもので、多くの人はそこでの最期を望んでいない。

感染拡大の深刻さとは裏腹に「火葬場が逼迫し、本来の川べりでの火葬に戻った。遺族が対岸からにはなるが、火葬を見届けられるようになった」と肯定的な側面を報じることもできたのだ。新型コロナによる不条理は形は違えど世界共通である。

(2)異国に響く伝統楽器

2021年6月12日刊行 南真木人(国立民族学博物館教授)

マーダルがよく売れる
持ち運びが容易な小さめのマーダルがよく売れる=カトマンズで2013年11月、筆者撮影

ネパールは人口2970万人のうち190万人が海外で暮らし、彼らの送金が国内総生産の4分の1を占めるという移民大国だ。インドや中東湾岸諸国、マレーシアで働く移民が多いが、日本にも9万5000人のネパール人が住む。この数は日本在留外国人のなかで、中国、韓国、ベトナム、フィリピン、ブラジルについで6番目に多い。

風が吹けば・・・・・・に倣って、移民が増えれば何屋が儲かるか。航空会社、旅行代理店、人材派遣や留学あっせん業などは当然だが、意外な業種が好景気を迎えていた。両面太鼓マーダル作りと綿布ダカの手織りという伝統産業である。どちらの品も移民が最初の渡航で持っていく必需品ではない。だが、そのうちに取り寄せてでも入手したいものに変わる。

移民は移住先でネパールの祭礼、芸能や娯楽の催し、結婚式など同胞が集う多様な活動を行う。その際、ネパールらしさを演出し、ネパール人の存在感を示すため伝統的な音楽や衣装が求められはじめた。これがマーダルとダカが見直され、新たな需要が生まれた背景だ。陰りが見えていた両業種は、おかげで息を吹き返した。海外に暮らし自国の文化の良さに気づいた移民は、それを消費しはじめる。そして、その需要が本国のもの作りの伝統を改変しつつ更新させる。グローバル時代の文化は国境をまたいで環流するのだ。

(3)流行音楽の源流

2021年6月19日刊行 南真木人(国立民族学博物館教授)

日本滞在ネパール人と日本人との混成バンド
1999年8月、東京で開かれた文化イベントで演奏する、日本滞在ネパール人と日本人との混成バンド=筆者撮影

ネパールでは、ロック音楽に伝統的な両面太鼓マーダルや弓奏楽器サーランギが混じるフュージョン音楽が流行している。その起源はいかなるものか。1999年から6年間、日本で無資格就労していたネパール人音楽家から面白い話を聞いた。

1988年、ネパールのアンナプルナ・バンドが野外フェス「いのちの祭り」出演のため来日。一部のメンバーは日本に残り、働きながら日本人音楽家と音楽活動を続けた。90年代、そうした人を中心にナマステ・バンドなど日本人との混成バンドが結成された。超過滞在し無資格就労する外国人が最大29万人もいたころだ。超過滞在ネパール人は稼いだ金で本国から人気歌手を招き、400~500人が集まる公演を次々に開催、演奏は混成バンドが担い、ネパール人にとって最大の娯楽となった。

この時のネパール人音楽家たちは現在50歳代で、ネパールの伝統楽器をロックに融合させた先駆者となった。ネパールの流行音楽の源流は日本にあった。思えば、ネパールの若者がロックの野外ライブを初体験したのも、80年代、ゴダイゴの同国公演だった。ナマステ・バンドについてはNHKがテレビ番組「アジア人間街道」で放送し、作家の根深誠氏もツアーに同行して『ネパール縦断紀行』(七つ森書館)を著した。日本人音楽家との出会いと交流が今に続く潮流を生んだのである。

(4)コロナ下で生き残る

2021年6月26日刊行 南真木人(国立民族学博物館教授)

閑古鳥が鳴くインド・ネパール料理店
閑古鳥が鳴くインド・ネパール料理店=金沢市で今年3月14日、筆者撮影

新型コロナウイルス禍により飲食業は大変な日々がつづいている。日本語の読み書きが不自由な外国人経営者であればなおさらで、インド・ネパール料理店も例外ではない。

ネパール人のU氏は1999年に初来日。5年間、超過滞在して農家や工場で無資格就労し帰国した。最後に勤めた料理店に事前にかけあい、4カ月後には正規のコックとして再来日。いくつかの料理店を経て、2017年から自分の店をもつ。

新型コロナによりU氏の店も窮地に陥った。コックを解雇し24席の店を一人で切り盛りする。店の賃料も家主と交渉し3分の1に減額してもらった。各種の公的給付金は、行政書士が店に合うものを提案し手続きを代行してくれる。行政書士の紹介で、中小企業の経営者が月一度集う交流会にも加入した。例会では即売もでき、チーズ・ナンの売り上げが2万~3万円にはなる。

旧知の客のなかには、会員制大型スーパーに行くたびに安価な食材を届けてくれる人がいる。いちおう信者になったキリスト教会からも、差し入れがある。珍しく客が立てこんだ時は、近くの料理店のママさんが応援にかけつけてくれる。U氏の人柄もあろうし、これが全てというわけではない。だが、行政書士のビジネス(?)と多くの人の支援によって、外国人の店が生き残っている側面は、まぎれもない事実だ。