Select Language

モホスの祭礼と舞踏 (2021年11月)

(1)モホスの祭礼と舞踏

2021年11月6日刊行 齋藤晃(国立民族学博物館教授)

舟に見立てた荷車を漕ぐ「アフリカ人」
舟に見立てた荷車を漕ぐ「アフリカ人」
=ボリビア・ベニ県モホス郡で1995年、筆者撮影

私の調査地である南米ボリビア低地のモホス地方は、17世紀末から18世紀末までカトリックの修道会の統治下にあった。そのため、現在でもカトリックの年中行事が盛んにおこなわれている。そのなかには、在来の祭礼と融合して独自の発展を遂げたものもある。このシリーズでは、そうした祭礼を幾つか紹介したい。

カトリック圏では1月6日に幼子イエスへの「東方の三博士」の訪問と礼拝を記念する公現祭(こうげんさい)が祝われるが、モホスではその1週間後の日曜日、舟の祭礼が催される。「ポルトガル人」を自称する3人の王とその妃(きさき)、そして「アフリカ人」の随行者が舟で川をさかのぼって来訪し、イエスを礼拝する、という設定である。舟に見立てた荷車を漕(こ)ぐ「アフリカ人」は、毛皮のかぶり物で仮装したり、顔を黒く染めたりしている。一行は聖堂を訪れたのち、家々を巡り、踊りを披露し、酒を振る舞われる。

史実によれば、18世紀中葉、ブラジルのポルトガル人がたびたびモホスに軍事侵攻した。遠征軍にはアフリカ人奴隷とその子孫が数多くいたため、川をさかのぼってやってくる「アフリカ人」の集合的記憶が形成されたのだろう。ただし、舟の踊りでは、彼らは戦争をしにきたのではなく、救世主を礼拝しにきている。史実ではかなえられなかった民族融和の希望が、祭礼で表現されている。

(2)聖なる人形劇

2021年11月13日刊行 齋藤晃(国立民族学博物館教授)

枝の主日、子ろばに乗ったイエスの聖像が町中をめぐる
枝の主日、子ロバに乗ったイエスの聖像が町中を巡る
=ボリビア・ベニ県モホス郡で1995年、筆者撮影

イエスの降誕を祝うクリスマスはわが国でもなじみの行事だが、彼の受難と死を悼む聖週間を知っている日本人は多くないだろう。聖週間とは復活祭直前の1週間を指し、その間、地上におけるイエスの生涯の最後の出来事が演劇的に再現される。

モホス地方では、「枝の主日(しゅじつ)(日曜日)」にイエスのエルサレム入城を記念して礼拝行進がおこなわれ、町の住民はヤシの葉を手に持って救世主の聖像を出迎える。聖木曜日には、最後の晩餐(ばんさん)を記念して、イエス役を演じる司祭が使徒に扮(ふん)した12人の信者の足を洗い、彼らと食事を共にする。聖金曜日には、町中にイエスの磔刑(たっけい)像が建てられ、日没後、降架の儀式がおこなわれる。手足が動くイエス像を十字架から降ろし、棺(ひつぎ)に納め、聖堂まで運ぶのである。

17、18世紀にモホスで宣教に従事した修道士は、知性が劣る先住民に神聖な奥義を伝えるには視覚的・演劇的な仕掛けが欠かせないと考えた。他方、同時代のプロテスタントは、カトリックの即物的な礼拝様式を軽蔑し、アメリカ先住民を修道士のペテンの犠牲者として哀れんだ。しかし、わたしが知るかぎり、現在のモホスの祭礼では、物質的な仕掛けと霊的な信仰は違和感なく共存している。かつてキリスト教会の統一性を引き裂いた霊と肉の対立は、先住民には無縁のように思われる。

(3)聖人の加護のもとに

2021年11月20日刊行 齋藤晃(国立民族学博物館教授)

カルメル山の聖母の祝日の礼拝行進
カルメル山の聖母の祝日の礼拝行進
=ボリビア・ベニ県モホス郡で1995年、筆者撮影

聖人とは、敬虔(けいけん)な生涯を送ったり、命がけで信仰の証しを立てたりして、死後、教会により崇敬に値すると認められた人物を指す。聖母や使徒、教父や殉教者が代表例である。聖人は人の祈りを神にとりなしてくれるため、しばしば個人や集団、町や国の霊的守護者に選ばれる。

モホス地方で祝日が祝われる聖人の数は多い。聖母はとりわけ篤(あつ)く崇敬され、8月15日の被昇天と9月8日の誕生の祝日には、盛大な祭りが催される。町にはおのおの守護聖人が定められており、その祝日には大勢の来訪者が集まる。礼拝の後、舞踏や余興、宴会がにぎやかに繰り広げられる。

わたしが参加した聖人祭のうち、最も印象深かったのは、密林奥地の小村でおこなわれた「カルメル山の聖母」のものである。スペインやラテンアメリカでは軍隊の守護者とみなされる聖人だが、わたしが参加した祭りは、村の女性たちを中心とした、慎(つつ)ましいが敬虔な信心業だった。祝日前夜には、集会所で一晩中、聖母の賛歌が歌われ、踊りが披露された。当日は、聖堂での儀式ののち、広場で礼拝行進がおこなわれた。着飾った女性たちが聖母の輿(こし)を担ぎ、籠を手に持つ女性が花をまき散らした。インコの羽根の冠をかぶった男性たちは、聖母のほうを向き、踊りながら後ろ向きに歩みを進めた。派手さはないが、篤い信仰と細やかな配慮に満ちた、美しい祭りだった。

(4)祭を支える女性たち

2021年11月27日刊行 齋藤晃(国立民族学博物館教授)

エルマンダの箒の踊り
エルマンダの箒の踊り
=ボリビア・ベニ県モホス郡で1995年、筆者撮影

モホス地方にはエルマンダという女性の祭礼執行組織がある。エルマンダは町の行政と司法をつかさどるカビルドという男性の組織を模した階層構造をもつ。その成員はマミタ(ママの愛称)と呼ばれ、徳高く信心深いとみなされている。

マミタたちは祭礼でさまざまな役目を果たす。祭礼には会食がつきものだが、大量の食べ物と飲み物を用意するのは彼女らの務めである。マミタはまた、聖堂と聖具の管理も担う。彼女たちは週2回、専用の箒(ほうき)で聖堂を清掃し、花を入れ替える。また、祭礼時には、聖像の組み立てや据え付け、解体や収納もおこなう。

エルマンダは単なる雑用係ではなく信仰組織でもある。祭礼の前日や当日、聖堂に籠もって聖母や聖人に祈りや歌をささげるのは彼女たちの重要な務めである。マミタのなかにはアバデサ(修道女の長(おさ))という知識と経験に富む年輩女性がおり、彼女が祈りと歌を主導する。

エルマンダはしばしば女性のカビルドと称されるが、その役割は裏方のものが多い。しかし、彼女たちが表舞台に立つ機会もある。そのひとつが12月28日の幼子殉教者の記念日の踊りである。この日、マミタたちは色とりどりのリボンを巻いた箒を掲げ、町の広場や集会所で踊りを披露する。そこには、自分たちが聖堂を維持し、祭礼を支えているのだという誇りがみてとれる。