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特別展「しゃべるヒト」 語り尽くせぬ言語の世界

2022年9月3日刊行
吉岡乾(国立民族学博物館准教授)

地球上のどの社会を見ても、ヒトはことばを話している。インド洋の北センチネル島でも、アマゾン川流域熱帯雨林でも、インドネシアの旧パプア州でも、外部との接触が(ほぼ)ないとされている人々、いわゆる未接触部族が、それでも独自の言語を用いて暮らしている。電力を活用しない、衣服を着用しない、食器を使用しない、文字を用いない社会はあれど、基本的に、ことばを持たない社会はない。それが、ヒトが他の動物とは異なる、ヒト種である証明であるかのように。

ヒトは、話す。私たちホモ・サピエンス(賢いヒト)は、そういう意味で、ホモ・ロクエンス(しゃべるヒト)でもある。世の中、普段から、あまり不自由なくことばを操って暮らしている人が多いことだろう。日々意識しないで使っている、ことばというこの道具だが、改めてその仕組みから考えてみると、不思議がいっぱい詰まっている。

首都テヘランの家庭で振る舞われたホレシュテ・ゲイメ
パキスタン北部の山村でブルシャスキー語をしゃべる人。
基本的に、ことばを持たない社会はない
=ギルギット・バルティスタン州ゴジャール谷グルミット村で2019年9月、筆者撮影

例えば日本語では、五つの母音「あいうえお」に始まり、カ行の子音、サ行の子音などと、多く見積もっても合計25個ほどの音しか区別していない。片や英語は、日本語よりも区別する音がもっと多く、R音とL音とを使い分けたりもする。それなのに、日本語でも英語でも、表現できる事柄の幅は、どちらも無限大であり、差がない。文字を持たないカラコラム山脈奥地のことばだって、パキスタン手話や日本手話だって、無限の表現力を持つという意味で、対等であると言えよう。

ヒト以外の生物にも言語があると願ってやまない研究者も世の中にはあるが、「もしも私が××だったら」といった仮定の話や、将来の夢なんかを語れる道具が、ヒトの言語以外にあるだろうか。

ことばを運用するのは個々人であり、発声に用いる器官や、上体の動作であり、そして根源としては脳でもある。そうして誰かが自身の脳を働かせて発したことばは、受容した別の人がその人の脳で処理しているのに、不思議と内容情報=メッセージが伝わる。実は常日ごろから、私たちは魔法のような体験を繰り返していやしないか。

今月から11月23日まで、国立民族学博物館では特別展「Hom―o loqu―ens『しゃべるヒト』~ことばの不思議を科学する~」が開催されている。世界の言語は多様だ。けれどもそこには一様である側面もあり、だからこそ言語としてひとくくりにされるのだ。ことばとは何か、どうことばを用い、ことばは何を伝えるのか。ひいては、ことばを話す私たちが何者なのかまでを、深追いできる展示になっている。筆舌に尽くしがたい言語の奥深さの、いろいろな入り口を楽しんでいただけたら何よりである。