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イタリア・パルマの「トマト博物館」とトマト缶

イタリア中部にあるパルマという町に、「トマト博物館」という小さな博物館がある。トマトを期待して中に入ると、缶詰づくりの機械や実験器具など、トマトそのものよりも缶詰にかかわる展示がずらっと並んでおり、少々面食らうかもしれない。

トマトといえば、イタリア料理と結びつきが深いイメージがあるが、原産地は南米である。イタリアには大航海時代に伝わったものの、本格的に食べられるようになったのは19世紀以降である。それは一つには、パスタのソースとして人気が出たためだが、もう一つ、同じく19世紀に発明された缶詰という技術も絡んでいた。19世紀は、加熱殺菌した食品を缶や瓶で密封するという保存技術が誕生し発展した時代でもあった。

そもそもトマトは、夏の一時期に集中的に収穫され、そのままでは長期保存には不向きである。乾燥による保存法もあったが、風味が変わってしまう。そのため料理への利用は限定的だったが、缶詰の発明によって1年中トマトが手に入るようになると、需要が一挙に高まった。イタリアでトマトが安定的に食卓にのぼるためには、缶詰が不可欠だったのである。

缶詰技術は農村の風景にも変化をもたらした。たとえばイタリアの代表的なトマト缶に、チリオCirioというブランドがある。チリオとは、イタリアで最初の缶詰を作った商人の名前であり、その包装にはナポリ地域の細長いトマトの絵柄が描かれている。進取精神に富んだ彼は、19世紀後半、ナポリ近くの荒れ地を大規模に買い取ってトマトなどの生産と缶詰製造に取り組んだ。缶詰は国内だけでなく、当時急増したイタリア移民に向けた輸出用でもあり、その成功がこの地をイタリア随一のトマト生産地に変えていった。

そしてパルマも、もともとトマトの生産地ではなかったが、19世紀後半から今後有望な商品作物の一つとしてトマトの栽培が広まり、ほどなく缶詰工場が数多く作られていった。今やパルマは、缶詰だけでなく保存食品全般の国内拠点として成長している。

トマト博物館では、こうしたトマト缶のイタリアにおける発展過程を見ることができる。ちなみに現在イタリアは、缶詰を含む加工トマトの生産では世界第2位、世界全体における輸出用トマト缶に限ると76%のシェアを占めている。トマト缶は、トマトと言えばイタリア、という世界的なイメージを今も支えている。

宇田川妙子(国立民族学博物館教授)



関連写真


トマト博物館の外観。もともと農場の建物を改装して作られており、ゆえに広大な農地の中に立っている。
(©Museo del Cibo)



トマト博物館内の展示。缶を密封する機械。
(筆者撮影、パルマ、2017年10月)



トマト博物館内の展示。1930年代にパルマ地域で製造されていた缶詰のコレクションの一部。
(筆者撮影、パルマ、2017年10月)



ハウス等の栽培技術や品種改良が進んだ現在では、イタリアでも年中フレッシュなトマトが手に入る。
3月の青空市場で様々な種類のトマトが並んでいる様子。
これらは、サラダだけでなく、もちろんトマトソースとしても使われる。
(筆者撮影、ローマ、2018年3月)