客家からみる東アジア関係史
客家(ハッカ)と聞いてピンとくる人はあまり多くないかもしれません。客家は、中国東南部の山岳地帯を主要な居住地とする漢民族の一系統で、台湾や香港、東南アジアをはじめ、世界各地に暮らす華僑華人の一派でもあります。9月5日から開催する企画展「客家と日本――華僑華人がつむぐ、もうひとつの東アジア関係史」では、客家と日本を中心に客家からみた東アジア関係史を紹介します。
客家と日本との関係がいつから始まるのかについては諸説ありますが、文献資料から言えるのは19世紀後半からになります。特に客家と日本との関係がより深まったのは、日本統治期の台湾においてです。音楽やスポーツ、産業などのさまざまな面で客家と日本は交流を深めていきます。さらに第二次世界大戦後、台湾などから日本に渡ってきた客家たちは団体を組織し、戦後日本の混乱を生き抜くとともに、客家のあいだでの団結を強めてきました。
客家といえば、ユネスコ世界文化遺産にも登録されている福建の土楼が有名です。巨大な円形の集合住宅をどこかで目にしたことがある人も多いかもしれません。本企画展でも、東京藝術大学中国民居研究グループから寄贈いただいた精巧な土楼模型を展示し、客家の建築文化を紹介しています。しかし、客家文化は土楼に限りません。本企画展では、本館所蔵の標本資料に加え、台湾の客家文化発展センターからの借用資料によって、言語や食、服飾などに焦点を当て客家文化の多様性を展示しています。また、中国大陸、台湾、日本への客家の移住の歴史とそこでの文化の変化と継続性を紹介しています。
本企画展を通じて、客家の歴史と文化に対する理解を深めていただくとともに、客家と日本の関係から見えてくる、これまであまり知られてこなかった東アジアにおける歴史的つながりに思いを馳せていただければ嬉しく思います。
関連ウェブサイト
みんぱく創設50周年記念企画展「客家と日本──華僑華人がつむぐ、もうひとつの東アジア関係史」
関連写真
日本の客家団体も整備に携わった徐福公園。園内には日本の客家の祖先ともされる徐福の墓もある
(筆者撮影、和歌山県新宮市、2023年)
祖塔と呼ばれる親族集団のための墓
(筆者撮影、台湾新埔鎮、2023年)