“がらくたの山”のメッセージ ――反戦平和資料館・ヌチドゥタカラの家
沖縄本島北部にある離島、伊江島。麦わら帽子のような城山(ぐすくやま)がシンボルのこの島に、反戦平和資料館・ヌチドゥタカラの家(以下、資料館)がある。平和活動家として知られる阿波根昌鴻(あはごんしょうこう、1901-2002)が、沖縄戦・伊江島土地闘争の証拠品として集めたモノたちを展示するため、県内外の支援者とともに完成させた手作りの資料館である。
資料館は、1984年12月8日―太平洋戦争開戦の日に開館した。阿波根昌鴻の著書『命こそ宝―沖縄反戦平和の心』(岩波新書、1992年)によると、開館の案内状には「展示してあります“がらくたの山”が、人間の「おろかさ」と「たくましさ」を学ぶ資料となり、“香り高い作品”が人間の「尊厳」と「英知」を学ぶ指針となって、「ヌチドゥタカラ・生命の尊さ」を再確認すると共に、戦争を知らない世代やこれから生まれてくる子供たちに、戦争の恐ろしさと平和のありがたさを少しでも知っていただき、ひいては平和を創りだす人が一人でも増えてくれることを願い、祈りをこめてせいいっぱい展示いたしました」と綴られたという。
「がらくたの山」とは、戦中戦後の生活道具や、米軍統治下の伊江島で土地を強制的に収用し、基地を作った米軍の行いの証拠品である核模擬爆弾や軍用パラシュートなど、島で起きた出来事を語り伝えるモノたちである。「香り高い作品」とは、沖縄生まれの版画家・儀間比呂志の沖縄戦をテーマにした作品や、広島・長崎などで被爆者の写真を撮り続けた写真家・森下一徹の作品をさしている。これらは、資料館の意義に賛同した作家本人から提供されたものである。このほか、阿波根昌鴻自身が土地の強制収用による島の窮状や米軍の仕打ちを告発するための証拠として、1955年から1960年代にかけて撮影した写真も展示されている。
阿波根昌鴻が「伊江島の証拠品を中心に、戦争の根本の原因と結果がわかるように展示」することを試みた資料館には、壁一面、手作りの台には乗りきらないほど、沢山のモノが展示されている。開館から40年を経て、展示資料の中には、もとの姿かたちを保てないほど劣化が進んでしまったモノもある。その一部は資料保護のために取り外され、複製が展示されている。歳月の流れをたしかに感じながらも、この島で起きたいくつもの困難な出来事に立ち向かった人々の不屈の精神の痕跡である「ガラクタの山」たちは、その力を弱めることなく、私たちに語り続けている。
来年で戦後80年を迎えるが、伊江島では現在も島の面積の35%が米軍の基地である。沖縄本島を旅する機会があれば、ぜひ伊江島にも足を運び、「反戦平和資料館・ヌチドゥタカラの家」を訪ねてほしい。そのときは、スマートフォンをお忘れなく。館内各所に設置されたQRコードにアクセスして、阿波根昌鴻の肉声による案内に耳を傾けながら、展示をご覧いただきたい。
関連写真
伊江島(2023年、筆者撮影)
反戦平和資料館・ヌチドゥタカラの家(2019年、筆者撮影)
資料館内の展示の様子(2019年、筆者撮影)