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行ける国、行けない国

大学院に入ったころから、私は西アジア(中東)地域の国々をそれなりに巡ってきた。フセイン政権下のイラクにまで行ったことがあるのに、いつでも行けると思っている間に行くのが困難になってしまった国がある。シリアである。

実は2011年の春にレバノンに行った際に、ベイルートからシリアのダマスカスまで陸路で行き、数日滞在する計画をたてて、車と宿まで予約したことがある。ベイルートからダマスカスの間は、車で二時間半弱ほどの「気軽に」行けそうな距離なのである。ただ、「アラブの春」の影響でシリアでも反政府運動が盛んになり始めており、ダマスカスやアレッポなどでも反アサド政権デモと機動隊の衝突が起きていた。旧市街エリアは、まださほど混乱していないという情報が入り、この機を逃すともう行けなくなるかもという焦りもあり、ダマスカス行きを決行するか否か、相当に迷った。しかし、国境封鎖が起こった場合、レバノンに陸路で戻れなくなり、日本に帰国できなくなる危険性があったので、結局のところ、あきらめた。大阪から名古屋までほどの距離感なのに国境が間にあって、行ったら帰ってこられなくなるかもしれないという感覚は、島国日本にいるとなかなか実感できないことである。

その代わりにベイルートをベースに、北部のトリポリ、東部のバールベック、南部のサイダとスールなどと、レバノン国内の都市や遺跡は見て廻れた。特に、サイダとスールは、私が研究テーマとしてきたアレクサンドロスがかつて攻め落としたシドンとテュロスにあたり、古代フェニキア都市の面影を探しに、ぜひ行きたかった場所であった。南部に向かう幹線道路には、国連軍の真っ白い装甲車が走っており、遺跡の近くの土産物屋ではヒズボラT-シャツが販売されていた。若干の緊張感を伴う旅ではあったけれども、調査に一緒に連れて行った子どもたちが遺跡の岩場を楽しそうに上り下りしている姿を懐かしく思い出す。

かつて行きそびれたシリアにも、かつて訪れたレバノンにも、現在は「レベル4:退避勧告」がでている。この地域の人々が皆、平穏に、自由に暮らせる日々が訪れるように、2025年の年明けに切に願う。

山中由里子(国立民族学博物館教授)



関連写真


バールベック(2011年4月20日筆者撮影)



テュロス(2011年4月22日筆者撮影)



シドン(2011年4月22日筆者撮影)