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人と植物の旅の果てに 予測不能な出会い

2025年8月4日刊行
中川理(国立民族学博物館准教授)

1年ほど前、南仏マルセイユの欧州・地中海文明博物館で、企画展「還る(Revenir)」を見た。展示では、地中海をまたいだ移民の経験が、家族ごとに細やかに描き出されていた。なかでも私にとって面白かったのは、しばしば植物が重要なテーマとして語られることだった。

ある家族は、イチジクをたずさえてアルジェリアからフランスに渡った。移住先で育てたイチジクを親木として、新しい土地に移り住む度にイチジクを植えつづけた。別のアルジェリア出身の女性は、パリ郊外での苦しい暮らしのなかで、これまでとは違う草花や野菜を集めて育てるようになった。その後、大事に保管した種をもって故郷に戻り、現地の親族とともに放棄されていた菜園を復活させた。

ヨーロッパ・地中海文明博物館(左奥)は、地中海のすぐそばに建っている。=フランス、マルセイユ・2024年10月28日・筆者撮影
地中海のすぐそばに建つ欧州・地中海文明博物館(左奥)
=南仏マルセイユで2024年10月、筆者撮影

これらのエピソードが記憶に残ったのは、対照的な二つの態度をあらわしているからだろう。イチジクのエピソードは、見知らぬ土地に行っても育てなれた草花や食べなれた野菜・果物に囲まれていたいという、移民の望郷の思いを感じさせる。しかし、移民がもつのはそのような保守的な方向性だけではない。新しい草花や野菜を育てはじめた女性のエピソードのように、見知らぬ土地での出会いのなかから、新しい植物との付き合い、新しい生き方を見いだしていこうとする方向性もまた存在している。

私が南仏で調査している難民の場合にも、このような二つの方向性のせめぎあいが見てとれる。東南アジア・ラオスの少数民族であるモンの人々は、1970年代後半に難民としてフランス各地に定住した。工場での仕事にうんざりした一部のモンは、90年代以降に南仏に移動して農民となった。彼らの畑に行くと、ラオスから持ち込まれた野菜や薬草が植えられている。家族の食卓には懐かしい野菜が出され、伝統医療には薬草が使われる。

しかし同時に、モンはズッキーニ生産者として新しい生活を始めている。ズッキーニは、未成熟な果実を食べるカボチャの一種だ。地中海のイメージがあるが、中米を原産としている。はるか昔に栽培化されたカボチャは、広くアメリカ先住民に育てられていた。いわゆる新大陸の発見後、ヨーロッパへと持ち込まれた。いまズッキーニと呼ばれる品種の歴史は浅く、19世紀のイタリアで生まれたとされる。モン農民は、南仏でズッキーニを発見し、いまや地域の主要な生産者となった。

ここでは、アジアから来た人々とアメリカから来た植物がヨーロッパで出会い、新しい生き方を生み出している。しかし、これはなんら特別なことではないかもしれない。あらゆる栽培植物が、人との予測不能な出会いをとおして多様性を生み出してきたのだから。