Select Language

カボチャの旅

このコラムを読者が目にするのは新年を迎えてからだが、年末には昼間が一年でもっとも短くなる冬至があった。日本では「冬至カボチャ」といって、この日にカボチャを食べるのがよいとされる。ところでこの野菜、どこの生まれなのだろう。

民博で、その答えを見つけることができる。アメリカ地域展示場に、本物と見まがうような立派なカボチャの複製が飾られている。説明には「野生のカボチャをアメリカ大陸の人びとは長い年月をかけて改良し、さまざまな品種を生み出した」とある。そう、トウモロコシやジャガイモと同じく、カボチャはアメリカで栽培植物となり、世界へと広まったのだ。

その過程で、カボチャはさまざまに姿を変えていった。例えば、ズッキーニもその一つだ。アメリカ先住民からヨーロッパ人入植者へと伝えられ、16世紀には多彩なカボチャがヨーロッパでもつくられるようになった。熟れる前の若い果実を食べる品種もあらわれた。そのなかでもズッキーニはとくに新しく、19世紀なかばのイタリア・ミラノで生み出されたと考えられている。この品種は商業的に大きな成功をおさめ、最近では日本のスーパーでも普通に見かける。

私が調査する南仏でも、ズッキーニはラタトゥイユなど地元料理に欠かせない野菜とみなされている。それをおもに生産しているのは、意外なことにラオスから来た少数民族モンの人びとである。難民として来た彼らは、南仏でズッキーニ生産者として成功を収めた。しかし、彼ら自身はあまりズッキーニを食べない。あくまでも商品なのだ。彼らはむしろ、家庭菜園で自ら作ったカボチャを好んで食べている。その種は、ラオスやタイからはるばる運んできたものだ。

こうして、カボチャは人間とともにはるかな旅をしてきた。そして、旅はまだ続いている。次にカボチャを食べる時には、その長い道のりに少しだけ思いをはせてほしい。

中川理(国立民族学博物館准教授)



関連写真

アメリカ地域展示場のカボチャの複製
(筆者撮影、国立民族学博物館、2025年)

モン農民によるズッキーニの収穫
(筆者撮影、フランス、2023年)

モン農民の家庭菜園に生ったカボチャ
(筆者撮影、フランス、2023年)