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チリのマプーチェ先住民組織における民族医療に関する文化人類学的研究(2020-2023)

科学研究費助成事業による研究プロジェクト|若手研究

代表者 工藤由美

目的・内容

本研究は、マプーチェ医療を受診中の患者、元患者、患者家族、さらには公立診療所の西洋医療スタッフ、マプーチェ医療スタッフなどからの聞き取りと参与観察に基づいて、①チリの首都圏における公的医療としてのマプーチェ医療の成功の医療的側面と社会的側面について、その内実を明らかにし、②その分析を通じて、マプーチェの医療職能者による霊的診療と薬草治療の効果について、霊的側面を含めてこの民族医療を評価する方法を提案すること、また、③医療の持つ社会関係構築力について、マプーチェ医療関係者とチリ人の間の、医療の場だけでなく医療以外の場における交流にも焦点を当て、明らかにすることを目的とする

活動内容

2023年度実施計画

2022年度事業継続中

2022年度活動報告(研究実績の概要)

本研究は、チリで1996年に始まった先住民保健特別プログラムによって提供されてきた民族医療(マプーチェ医療)の成功を、医療的社会的側面から明らかにしようとするものである。マプーチェ医療の成功とは、開始当初の「受診者の7割は先住民」という規制にも拘わらず非先住民のチリ人患者が顕著に増加したことだが、その後規制は撤廃されこの10年ほどはチリ人患者が7割程度で推移している。
今年度の実績は①論文(査読あり)1点、②学会発表(査読なし)1点、③研究集会のシンポジウムでの発表(査読なし)1点、④現地調査の実施の計4点である。①の論文は、成功の要因の一つとしてマプーチェとチリ人患者の間で使用されている「自然」という言葉の意味を分析した。自然に対する意味付けは両者の間で大きく異なるが、それは表面化させないまま、「自然はいいもの」という両者共通の肯定的価値つけを基盤として相互受容が成立していることを明らかにした。②の学会発表は、近年の環境人類学の知見を参照しながら、マプーチェの土地に関する認識を再考したものである。③のシンポジウム発表は、現地調査中に、現地の研究者による通文化医療に関する集会で、日本の漢方薬の制度化に関する発表を行ったものである。
④現地調査は8月から9月にかけ約1ヶ月間実施した。新型コロナウィルス感染症の世界的蔓延後の調査でもあり、コロナ禍のマプーチェ医療状況と受診患者についての聞き取り、マプーチェ医療実施拠点2箇所での参与観察、マプーチェ先住民組織活動の参与観察などを実施した。その結果、1)パンデミック下での具体的なマプーチェ医療の実施状況、2)チリ人患者のマプーチェ文化に対する評価の変化と受容の拡大、3)先住民組織の構成員の変化に伴う実施内容の変化等が明らかになった。これらの現地調査で得られた一次資料に関しては、引き続き、文献調査と並行して考察を進める予定である。

2022年度活動報告(現在までの進捗状況)

今年度は4年計画の本研究の3年目で、過去2年間コロナ禍により実施できなかった現地調査をようやく実施することができた。しかし、新型コロナウィルス感染症の世界的蔓延以降初となった今回の調査では、コロナ禍中の現地の生活の変化や、コロナ感染予防と関連するマプーチェ医療実施上の変化、マプーチェ医療実施母体の先住民組織自体の変化とそれに伴うさまざまなレベルにおける現地の人間関係の変化など、調査の基盤となる部分に生じた劇的な変化を把握することに多くの時間と労力を割かざるを得なかった。過去2年間、オンラインでの情報交換は欠かさなかったものの、現実に目にした変化は想像以上のものがあったからである。
また、現地調査を実施できたとはいえ、まだコロナ禍の渦中であったため、現地での行動範囲を制限せざるを得ず、本研究における調査の核心となる予定であった患者宅への継続的な訪問とインタビューや、複数のマチへのインタビューと参与観察などは実施できないままになっている。この点では、次年度も引き続きオンラインで現地の関係者との情報交換を継続し、少しでも多く予定していた現地調査が可能となるよう進めていこうと考えている。

2021年度活動報告(研究実績の概要)

本研究は、チリで1996年に始った先住民保健特別プログラムによって提供されてきた民族(マプーチェ)医療の成功を、医療的・社会的側面から明らかにしようとするものである。開始当初は「受診患者の7割は先住民」とされていたが、その後先住民患者以上にチリ人患者が増加し2012年にはチリ人患者が8割を超え、以来高水準が続いている。
他方、マプーチェの故地チリ南部の土地返還要求運動が2000年代以降過激化してきており、この土地返還運動をめぐる暴力的衝突の報道はチリ社会の対マプーチェ観にも影響を与えている。
昨年度に続き、今年度も新型コロナウィルス感染症の蔓延で現地調査が実施できず、現地協力者との情報交換による当地の状況の追跡、新規に入手した文献の検討、既得の調査資料の再検討を継続した。その結果、以下3点が明らかとなった。第1は、民族医療を公的な医療制度の枠内に取り込むに当たっての政府側の目論見である。チリの先住民研究、政治学領域の論文の検討が示すのは、民族医療の制度内への取り込みがはじめからチリ国民全体への適用を意図していたことである[Figueroa 2020他]。第2は、首都の先住民組織の土地取得のあり方である。2000年以降、首都圏の先住民組織活動が活発化し、組織活動を名目とした土地取得も急増した。歴史学、地域研究領域の論文によると、首都における先住民組織の土地獲得プロセスは、19世紀後半、「平定」の名の下にチリ国家がマプーチェ領土を奪った構図と相似で[Caulkins 2018他]、一定の土地を「無主の地」とみなすことから発している。第3は「通文化医療」という理念の現場での実践についての既得調査資料の再検討である。そこでは相互のレスペート(respeto:敬意)を理由に「踏み込まない」態度が一貫していた。これら3点の知見は今後の国家先住民関係の展開を考える上での重要な素材である。

2021年度活動報告(現在までの進捗状況)

当初は、1~2年目は現地調査を中心に実施し、マプーチェ医療を受診中の患者や、受診歴を遡っての元患者、そして彼らの家族に対しての聞き取りを実施し、マプーチェ医療に関わる状況の通時的変遷について患者側の視点から一定の展望を得たいと考えていた。しかし、計画初年度より新型コロナウィルス感染症の世界的蔓延のため、チリでも緊急事態が宣言され、国境閉鎖や夜間外出禁止などさまざまな制限が課される事態となり、現地調査は実施不可能であった。
その結果、各年度の研究計画の変更と調整を余儀なくされた。昨年度(2020年度)は不定期ではあるものの先住民組織のオンライン会合に参加することができ、その他のオンライン会合やチャットをも通じて、現地の人々との間で一定の情報収集はできたものの、現地調査のような参与観察に基づいた充実した情報には乏しく、2年目となった今年度ではオンラインによる現地の人々との情報交換にも行き詰まりが感じられた。今年度は文献調査と過去の調査資料の再検討を通して、一定の成果を得ることはできたが、計画当初に予定していた、マプーチェ医療を受診する患者らの参与観察とインタビューは積み残されたままになっている。現地調査がいつ再開できるか未だ予断を許さない部分はあるが、引き続き文献調査、既得の調査資料の再検討とオンラインでの現地の人々との情報交換を継続し、現地調査が再開できた場合に備えている。

2020年度活動報告(研究実績の概要)

本研究は、1996年にチリで開始された先住民のための保健特別プログラムによって提供が開始された民族医療(マプーチェ医療)の成功を、医療的側面と社会的側面から明らかにしようとするものである。マプーチェ医療の提供が開始された当初は「受診患者の7割は先住民であること」という制約があったが、その後は先住民患者の増加以上に、公立診療所の医師に紹介されたチリ人患者の増加が顕著で、2012年以降は受診患者の8割がチリ人患者という状況に至っている。
そうした一方で、チリ国内では、チリの建国以来その領土を奪われ続けてきたマプーチェの土地返還要求運動が、2000年代以降過激化してきている。チリ国内のマプーチェ人口の3分の1を占める首都圏でも、もともとの接触の希薄さに加え、チリ南部の「暴力的土地返還運動」報道は一般のチリ人の対マプーチェ観に少なからぬ心理的影響を与えており、両者の間の文化的な隔たりは大きいままである。
こうした状況において、今年度予定していたのは、マプーチェ医療を実施している母体である、先住民組織の活動状況をより包括的な視野から見直すことである。実際には、チリではコロナウィルス感染症の蔓延により、2020年3月から現在まで、緊急事態宣言により渡航ができないだけでなく、現地のマプーチェ医療も長期間に渡って停止を強いられてきた。しかし、当該先住民組織とその活動に関心をもつチリ人らによって、オンラインで定期的な会合やマプーチェ文化教室が開催されてきたので、報告者もそれらの活動に参加するだけでなく、組織や他の参加者との個人的コミュニケーションを通じて今年度の調査を遂行していった。その結果、「コロナ禍による制約下で」ではあるが、先住民組織のありかたと、チリ人-先住民マプーチェ間の共同性のありかたに新たな側面が見えてきた。

2020年度活動報告(現在までの進捗状況)

当初の計画では、今年度は現地調査を実施し、マプーチェ医療を受診中の患者や、受診歴をさかのぼっての元患者、そして彼ら患者の家族に対しての聞き取りを実施し、マプーチェ医療を取り巻く時間の経過について患者側の視点から一定の展望を得たいと考えていたが、コロナウィルス感染症の世界的蔓延により、チリでも緊急事態が宣言され、国境閉鎖や夜間外出禁止などさまざまな制限が現在も続いていて、現地調査は実施不可能であった。
その結果、調査のテーマと視点、調査方法は変更せざるを得なかったが、どのように変更するかを模索する過程で、現地の先住民組織やチリ人協力者と連絡を取り続けるうち、マプーチェ医療を提供している先住民組織自体も、マプーチェ医療の活動停止という状況に直面して、彼らの組織としての活動がどのように展開し得るのか模索しつつあり、不定期ではあるもののオンラインの会合で議論を始めていた。
そこで、報告者はこの不定期のオンライン会合への参加をメインに、適宜個別のチャットで補いつつ、調査を実施することにした。その際、会合がすべてオンラインであるという特殊性によってより顕著に表れる組織のあり方や、チリ人参加者とマプーチェの人々との間の交流の形の変化、それを通じて表れる共同性のありように特に留意して調査をすすめることにした。
計画当初に予定した、マプーチェ医療を受診する患者らに対するインタビューは積み残されており、現地調査がいつ再開できるかは未だ余談を許さないが、オンラインでの接触の継続が再開後の調査に今までにない示唆を与えてくれることを願っている。