統治のフロンティア空間をめぐる人類学――国家・資本・住民の関係を考察する
研究期間:2018.10-2023.3
佐川徹
キーワード
フロンティア、国家形成、ゾミア
目的
本研究では、統治のフロンティア空間、つまり国家の中心部から隔たれ、統治の遂行が希薄である空間の動態に着目する。P・クラストルやI・コピトフ、J・スコットは、国家と国家に捕捉されざる住民との関係を各地域レベルで論じた。彼らが対象としたのは、主として植民地化以前や第二次世界大戦以前の世界である。だが、フロンティア空間の国家への包摂は不可逆的なプロセスではない。国家による領域化が一度は完遂したと思われる地域も、国家の統治能力の減退により、再度フロンティア空間に回帰することがある。また国家統治から放置されていた地域が、新たな資源の商品化により、資本や国家からフロンティア空間として再度見出されることもある。フロンティア空間の「発見と消失」は循環的な現象である。実際、21世紀に入ってから、世界各地で新たなフロンティア空間が「発見」され、その開発と領域化が進行している。本研究の目的は、アフリカ・東南アジア・中南米地域の事例分析をとおして、国家による統治と資本主義への接合から完全には逃れられない現代世界で、フロンティア空間の住民がいかに生活の再編を試みているのかを示すことである。
研究成果
本研究会は、「フロンティア空間」をキーワードに、政府の統治実践や企業の営利活動らによる領域化が進むフロンティア空間の動態を解き明かすことを目的とした。そのために、東南アジア、サハラ以南アフリカ、中南米で実地調査を実施してきた人類学者や政治学者、地理学者が、国家や資本、反政府勢力らが活発に活動を進めるフィールドでいかなる現象が生起しているのかを議論した。
本研究会から明らかになったことの一つは、国家らによる領域化がつよい実行力をともなって進められていることはたしかだが、その力を過度に高く見積もるべきではないという点である。各フィールドの現状を把握するために重要なのは、土地空間を「国家空間」と「無国家空間」のように切りわけることを避けて、統治の具体的な実行力とその限界に注意を払うことである。また、国家らによる領域化を単線的で不可逆的なものとして扱うのではなく、その可逆性や循環性に注意を向ける必要もある。さらに、国家と住民のような二項関係ではなく、領域化の動態に関与するNGOや商人などを含めた多くのアクターの関係性に注目すべきであることも確認された。そして、フィールドで起こるすべての現象を国家と関連づけて捉える国家中心的な想像の全体性から距離を置いて、各アクターが抱く空間をめぐる自律的な想像力を考慮する必要があることも、論じられた。
フロンティア空間で活動するアクター間には、つねに実行力と想像力の葛藤が生じている。とくに本研究会では、国家らによりフロンティア空間として同定された地域にくらす住民が、みずからの想像力を更新しながら、生活の再編に取りくむ姿を明らかにした。住民は、ときに特定の土地を経済的な資源とみなす国家や資本の想像力を共有し、その利用を積極的に進めることがある一方で、国家的な想像力とは異なる地平から新たな土地を求めて移動したり、政府に現在とは異なる生活空間の提供を要求することもある。本研究会からは、この多様な想像力とその想像力に基づく多様な実行力が、領域化を進展させたり押しとどめたりする姿が明らかになった。
2022年度
本年度は、2019~2021年度までに開催した研究会や学会報告における研究内容の成果を公開するための作業をすすめる。具体的には各人が成果出版となる書籍に掲載する予定の草稿を持ち寄り、メンバー間でその内容を議論する。本研究会のキーワードである「フロンティア」や「自律性」をめぐり論考間で齟齬が生じることがないよう、概念の内容をしっかりと共有する。なお成果出版の形態や出版社については、現在交渉中である。
【館内研究員】 | 池谷和信、南真木人 |
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【館外研究員】 | 王柳蘭、大澤隆将、岡野英之、桐越仁美、日下部尚徳、久保忠行、後藤健志、近藤宏、鈴木佑記、武内進一、二文字屋脩 |
研究会
- 2023年1月21日(土)13:00~18:00(ウェブ開催)
- 全員:成果出版に関する草稿の検討
- 2023年1月22日(日)9:00~13:00(ウェブ開催)
- 全員:成果出版に関する草稿の検討
研究成果
今年度は、2023年度中に予定している書籍での成果出版に向けて、研究会構成メンバーと昨年度までにゲスト講師として招いた2名が論考の執筆を進めた。いずれもフロンティア空間における住民と国家、資本などの関係性について焦点を当てた論考である。2023年1月21日と22日には、序章と結論章も含めた各章の草稿の検討会をおこなった。その場では、各章の内容について細かな修正点が指摘されたとともに、各章で頻出するフロンティア空間という語が有する意味の広がりについての検討がなされた。また、今日の世界でフロンティア空間に着目する意義について、より積極的な位置づけがなされるべきであるとの意見もだされた。さらに、新たな統治技術の導入が人びとの生活の自律性に与える影響について、さらなる分析を進める必要があるとの指摘もなされた。今後は、この場でなされた議論に依拠して各執筆者が修正稿を提出し、来年度の成果出版を目指していくことになる。
2021年度
2019年度と2020年度の研究会で、構成メンバーによる研究発表はほぼ終えた。本年度は、これまで研究会内部で発表してきた内容の成果公開に向けた活動をおもにおこなう。まずは、第55回日本文化人類学会研究大会で「現代世界におけるフロンティア空間の動態」と題した分科会を組む。佐川が趣旨説明をおこない、後藤、大澤、岡野、久保、近藤が発表をおこなう。発表内容のすりあわせをおこなうために、4月に共同研究会を開催する。その際には、成果出版のための大まかな見取り図も提示する予定である。学会終了後は、学会発表のコメント等を総括するための共同研究会を開く。また、研究成果の出版のために各自原稿の執筆をすすめ、共同研究会で執筆原稿の読みあわせを行う予定である。
【館内研究員】 | 池谷和信、南真木人 |
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【館外研究員】 | 王柳蘭、大澤隆将、岡野英之、桐越仁美、日下部尚徳、久保忠行、後藤健志、近藤宏、鈴木佑記、武内進一、二文字屋脩 |
研究会
- 2021年4月25日(日)13:00~17:00(ウェブ開催)
- 佐川徹(慶應義塾大学)現代世界におけるフロンティア空間の動態
後藤健志(国立民族学博物館)フロンティア牧畜論――フラクタル概念を手掛かりに
大澤隆将(総合地球環境学研究所))熱帯泥炭地の資本による領域化――インドネシア、リアウ州の一村落における土着性の相克
久保忠行(大妻女子大学)観光開発とフロンティア――ミャンマーのコミュニティ・ベースド・ツーリズム
岡野英之(近畿大学)ゾミアに引かれた国境線を越える――タイ=ミャンマー国境地帯における統治の浸透とシャン人移民の歴史的変遷
近藤宏(神奈川大学)「フロンティア空間」と「境界に住まう者」――コロンビア、国内避難先住民の移動と闘争 - 総合討論
- 2022年3月11日(金)13:00~17:30(ウェブ開催併用)
- 成果出版に向けての見通しを各メンバーが発表
寺内大左(筑波大学)、宮地隆廣(東京大学)によるコメント
研究成果
本年度は2回の研究会を開催して、おもに成果公開をどのような形で進めるかについての議論をおこなった。1回目の会合では、本研究会メンバーによって組織された第55回日本文化人類学会における分科会「現代世界におけるフロンティア空間の動態」をめぐり、発表予定者間で発表内容に関する意見交換をすすめた。2回目は、2022年度~23年度に予定している成果出版の内容について、代表者である佐川が事前に配布した序章をめぐって意見交換をするとともに、ゲスト講師2名も含めた参加者が寄稿予定の内容に関して発表をおこなった。2回の研究会では、いずれも本研究会のキーワードとなる「フロンティア空間」や「領域化」、「統治の貫徹」、「生活の自律性」といった言葉をどのような意味で用いるのかや、ジェームズ・スコットによる『ゾミア』における議論と本研究会の研究内容との共通性や違いがどこにあるのかといった議論がなされた。
2020年度
昨年度は、フロンティア空間にくらす住民の視点から調査研究を進めているメンバーが発表をおこなった。本年度の第1回目の研究会では、おもに経済的利益の獲得を求めて外部からフロンティア空間に参入してくる企業や商人、入植者の観点から調査研究を進めているメンバーが発表をおこなう(南、池谷、王、桐越)。第2回目の研究会では、フロンティア空間への統治の貫徹を目指す国家の観点から調査研究を進めているメンバーが発表をおこなう(武内、岡野、日下部)。それぞれの回では、サハラ以南アフリカ、東南アジア、中南米における各アクターの役割の共通性と差異について焦点を当てた議論をおこなう。第3回目と第4回目の研究会では、これまでの発表内容を総括して、成果出版の構成と内容について具体的な検討を進める。また、第2回目と第4回目の研究会では、本研究会の内容と類似した研究をおこなっているゲストを招き、これまでの発表内容をめぐって議論する。
【館内研究員】 | 池谷和信、南真木人 |
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【館外研究員】 | 王柳蘭、大澤隆将、岡野英之、桐越仁美、日下部尚徳、久保忠行、後藤健志、近藤宏、鈴木佑記、武内進一、二文字屋脩 |
研究会
- 2020年9月11日(金)13:00~18:00(ウェブ会議)
- 佐川徹(慶應義塾大学)趣旨説明
- 池谷和信(国立民族学博物館)「フロンティア空間の発見と消失――乾燥帯アフリカの事例」
- 桐越仁美(国士館大学)「砂漠と海を結ぶ人びと―西アフリカにおける長距離交易の変遷と商業民ハウサの外部社会との結節」
- 岡野英之(近畿大学)「ゴールデン・トライアングル―二つの国家のフロンティアが重なるハイブリッド・ガバナンスの領域」
- 2020年9月22日(火)13:00~18:00(ウェブ会議)
- 佐川徹(慶應義塾大学)「領域性概念についての覚書」
- 王柳蘭(同志社大学)「東南アジア大陸部イスラーム圏における商業・宗教的ネットワークの展開」
- 日下部尚徳(立教大学)「チッタゴン丘陵から見るロヒンギャ問題―バングラデシュの国家・資本・先住民族」
- 総合討論
- 2021年1月9日(土)10:00~18:00(ウェブ会議)
- 事務連絡
寺内大左(東洋大学)「土地開発フロンティアを生きる焼畑民――カリマンタンの消えゆく熱帯林から」
宮地隆廣(東京大学)「ラテンアメリカにおける国家研究の射程」
武内進一(東京外国語大学)「アフリカ農村部の土地をめぐる統治――ルワンダとコンゴ民主共和国」
総合討論
研究成果
今年度の研究会では、経済的利益の獲得を求めて外部からフロンティア空間に参入してくる商人(東南アジアとサハラ以南アフリカ)の観点から、またフロンティア空間への統治の貫徹を目指す国家(東南アジア、中南米、サハラ以南アフリカ)の観点から調査研究を進めているメンバーが発表をおこなった。その結果、国家、資本、地域住民の三者関係をめぐってより多面的な理解が可能になった。さらに、東南アジアにおける外的フロンティア地域の典型ともいえるカリマンタンの事例や、サハラ以南アフリカにおいて複数のフロンティア性が折り重なる南部アフリカの事例の発表をとおして、フロンティア概念の有効性をめぐる議論が活発になされた。そして、理論的にはフロンティア概念と密接なかかわりをもつ領域性(territoriality)概念をめぐる発表がなされた。最終年度となる次年度は、これまでの研究会での各発表の内容を総括して、成果のとりまとめに向けた議論を進める予定である。
2019年度
本研究の目的は、現代世界におけるフロンティア空間の動態を探ることである。2年目にあたる本年度は、サハラ以南アフリカ、東南アジア、南アジア、中南米の各地域における国家、資本、住民の関係性のありようを検討するために、各メンバーが事例報告をおこなう。具体的には、国境付近などに国家が支配の貫徹を求めて進出してくる統治フロンティア、多国籍企業などが大規模開発事業を実施する開発・資源フロンティア、よりローカルなレベルで商人が商業資本主義的な原理に則り交易ネットワークを広げることから生じる商業フロンティア、紛争や災害などで難民化した人がつくりあげる逃避フロンティアなどのテーマごとに発表をおこなうことで、各地域を越えたフロンティア空間の共通性の抽出を目指す。
【館内研究員】 | 池谷和信、南真木人 |
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【館外研究員】 | 王柳蘭、大澤隆将、岡野英之、桐越仁美、日下部尚徳、久保忠行、後藤健志、近藤宏、鈴木佑記、武内進一、二文字屋脩 |
研究会
- 2019年10月27日(日)12:30~18:00(国立民族学博物館 第1演習室)
- 佐川徹(慶應義塾大学)趣旨説明
- 二文字屋脩(早稲田大学)「タイ北部地域にみるフロンティア空間の動態:(ポスト)遊動狩猟採集民ムラブリを事例に」
- 大澤隆将(総合地球環境学研究所)「空間認識の錯綜:開発、オラン・アスリ、泥炭」
- 佐川徹(慶應義塾大学)「漁労を始めた牧畜民:東アフリカ牧畜社会における国家―資本―住民関係」
- 総合討論
- 2019年12月8日(日)12:30~18:00(国立民族学博物館 第2演習室)
- 佐川徹(慶應義塾大学)趣旨説明
- 近藤宏(早稲田大学)「難民となった都市先住民の『フロンティア』と『多文化共生』:南米・コロンビア太平洋岸の事例」
- 久保忠行(大妻女子大学)「観光資源としてのフロンティア:ミャンマーのコミュニティ・ベースド・ツーリズム」
- 鈴木佑記(国士館大学)「二つのフロンティア:タイ領アンダマン海域における国家・資本・海民モーケンの関係性を探る」
- 総合討論
研究成果
今年度第1回目の研究会では、国家や企業からフロンティアとして同定される国家の周縁地域(タイ、インドネシア、エチオピア)の住民の対応に焦点をあてた。その結果、移動性の確保やアナーキーな生活実践など、フロンティア空間に生きる人びとによる国家や資本の進出への対応の特徴が明らかとなった。第2回目の研究会では、紛争や政治的抑圧、災害により故地を追われたり、故地へ帰還した人たちがつくるフロンティア空間(コロンビア、ミャンマー、タイ)に焦点をあて、国家、資本、住民の三者関係の多様なあり方が示された。次年度は、経済的利益の獲得を求めて外部からフロンティア空間に参入してくる企業や商人、入植者の観点から、またフロンティア空間への統治の貫徹を目指す国家の観点から調査研究を進めているメンバーが発表をおこない、フロンティア空間の全体的把握を目指すことになる。
2018年度
本研究では、住民の生業、国家、資本の相互作用をとおしてフロンティア空間が変容していると考え、以下の3点を検討する。
(1)生業のエートスフロンティア空間の住民は、遊動的な生活により特徴づけられる生業に従事し、しばしば非階層的な社会構成のもとで生きてきた。定住的な生活へ移行しても、人びとが培ってきた生業のエートス(松井 2011)は消滅するわけではなく、むしろ国家や資本への対応過程にこのエートスが強く反映することが推測される。本研究ではこの生業のエートスの実態を検討する。
(2)国家形成と住民の変容
国家形成とは国家が住民や領域に対して統治や支配を強めていくプロセスを指す。住民は、国家からの逃走、国家との交渉、国家への順応などの選択をしながら、国家との関係を調整する。本研究では、国家が住民をいかに名づけ介入の対象としてきたのか、逆に住民が国家をいかなるものとして想像しその介入に対応してきたのかを明らかにする。
(3)フロンティア空間での資本
フロンティア空間には入植民や商人、企業が流入してくる。彼らは国家と結託しながら利益追求を試み住民の生活に負の影響を与えることがある一方、住民へ国家による統治から逃れる手段や、代替的な生活基盤を提供することもある。本研究では、住民と資本との関係の歴史と現在に焦点を当て、上述の(1)(2)といかに関わっているのかを明らかにする。
研究会は以下のように実施する。
<平成30年>1回
代表者が先行研究の議論を整理し、研究会の趣旨を説明する。
【館内研究員】 | 池谷和信、南真木人 |
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【館外研究員】 | 王柳蘭、大澤隆将、岡野英之、桐越仁美、日下部尚徳、久保忠行、後藤健志、近藤宏、鈴木佑記、武内進一、二文字屋脩 |
研究会
- 2019年2月2日(土)13:00~18:00(国立民族学博物館 第2演習室)
- 佐川徹(慶應義塾大学)「趣旨説明」
- 全員「自己紹介」
- 久保忠行(大妻女子大学)「東南・南アジアにおけるフロンティアをめぐる先行研究」
- 佐川徹(慶應義塾大学)「サハラ以南アフリカにおけるフロンティアをめぐる先行研究」
- 後藤健志(東京外国語大学)「中南米におけるフロンティアをめぐる先行研究」
- 岡野英之(立命館大学)「先行研究レヴューから得られる知見」
研究成果
本年度の研究会では、まずフロンティアをどのように定義するかを検討し、「外部者の視点からは現在の居住者による管理や利用が希薄ないし過小に映る空間」と定義づけることにした。またそれぞれの特性から、フロンティアがいくつかの種類にわけうることを確認した。たとえば、国家が支配の貫徹を目指す「統治フロンティア」、企業らが資源の抽出を目指す「資源フロンティアないし、抽出フロンティア」、NGOなどが援助や支援の対象とする「支援フロンティア」、国家や企業の進出対象とされた地域の人びと自身がローカルに見出す「在地フロンティア」、従来の居住地から追いやられた人たちがつくりだす「難民フロンティア」などである。さらに、J.スコットの『モラル・エコノミー』から『ゾミア』にいたる各著作の内容をいかに本研究会での分析に取りこんでいくのか、その際には政治生態学的な視点とどのような関係づけになるのか、といった点も議論がなされた。