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現代イランにおける長期的紛争介入構造をめぐる殉教概念の変容と政治言説化の研究(2018-2021)

科学研究費助成事業による研究プロジェクト|若手研究

黒田賢治

目的・内容

本研究は、イスラーム的理念に基づく政治社会運営の実施を標榜するイラン・イスラーム 共和国における殉教概念の社会・政治的変容について実証研究を行い、同国による周辺国の 紛争介入をめぐる社会的合意形成メカニズムについて明らかにし、中東地域における長期化する紛争構造の理解のための説明モデルを構築する。具体的には(1) イラン・イラク戦争の戦没者の記憶継承活動に焦点を当て、殉教概念の生活/社会空間への埋め込みを明らかにするとともに、(2)殉教概念の通時的な分析と半構造化インタビューを通じて、紛争状況の変化 に応じながら紛争を語るイデオムとして殉教がどのように政治言説化されてきたのかを明らかにする。そして(3)これらの実証研究結果を統合し、紛争介入を不可避とする社会的合意形成メカニズムを明らかにする。

活動内容

2021年度活動報告(研究実績の概要)

本年度においては、これまでの研究成果を統合しイラン・イラク戦争の帰還兵に焦点をあてながら言説としての殉教の動態について把握した書籍を単著として刊行するとともに、人類学者によって指摘されてきた近年の周辺諸国への紛争に参加する若年層のなかに、殉教言説と宗教儀礼との関係が指摘されてきたことから、宗教儀礼をめぐるドキュメンタリー作品について視野を広げ、近年イランで刊行された宗教儀礼に関するドキュメンタリー作品の批評集の翻訳を進め、年度末に資料集として刊行した。
単著では、本研究計画の実施以前から進め2019年12月まで実施してきたイランでのフィールドワークに基づきながら、戦後の社会で生きる帰還兵と彼の周辺に集まる人々からイランの「軍」を支える人々について実証的に明らかにした。その際、殉教という言説の異相を示すとともに、近年のポピュラーカルチャーとの結びつきが強化されるなどエンターテインメント化についても論じた。「軍」などに近しい特定の立場の人々にとっては、時に自己の行為を正当化させる言説としても実践的に利用されてきたことも明らかにした。こうした紛争と日常をつなげる殉教言説であるものの、常に言説として国家が企図するように社会的な利用が行われるわけではなく、国家の都合主義や言説化後の実態との矛盾を孕んでいるという点も描いた。
また宗教儀礼に関するドキュメンタリーの批評集の翻訳でも、近年のイランではアーティストが活躍する領域としての宗教儀礼の存在やそれぞれの監督のスタイルや西洋のドキュメンタリー作品の表現上の影響といった点について確認できるとともに、革命後のイラン社会を理解する資料としてドキュメンタリー作品の位置づけが理解できた。

2020年度活動報告(研究実績の概要)

本年度においては、前年度までの研究過程の可視化を目的とした成果発信とともに、文献調査を進めた。
前年度まで行ってきたフィールドワークに基づいた研究成果発信として、第36回日本中東学会年次大会における研究報告を行った。この報告では、イラン・イラク戦争をめぐる記憶の忘却と継承について、戦没者のアーカイヴスを個人の生業としても行ってきた人物に焦点を当て、記憶の忘却・継承がイラン社会における政治的な争点となってきたことを明らかにした。同報告に対してコメントとして記憶をめぐる忘却と継承に加え、「記憶の創造」の重要性が指摘されることで、今後の研究の深化を図っていくうえでの方向性が整理できた。またイラン・イラク戦争勃発から40年、湾岸危機から30年を記念して行われたシンポジウムでイランの視点からコメントを行うことで、イラン以外の地域での戦争の記憶をめぐる継承と断絶との視座を養うことができた。さらに、イラン・イラク戦争の従軍兵士や戦没者に関する研究の過程で調査してきた、体制右派のイランの空手団体に関する肉体鍛錬と精神修養についての論考を英語でまとめた。この論考では、近代日本の発明である武道の構造が、革命後のイランにおいても土着的文脈に応じて、体制のイデオロギーと結びついたイスラーム解釈のもとで特定の空手団体において展開しつつ、競技可能性という近代スポーツの形式を残してきたことを指摘した。
以上のような成果発信に加え、現地でのフィールドワークが困難となったなかで、これまでに収集した戦没者の遺書などのペルシア語文献についても読み進めるとともに、戦没者をめぐるを精神的アプローチのような霊的探究活動に関するペルシア語文献についても読み進めた。

2020年度活動報告(現在までの進捗状況)

初年度、二年度目まで、国外の調査を順調に実施することができた。しかしながら本年度においては、新型コロナウイルス感染症の拡大により、当初予定していた研究成果統合時のフォローアップのための調査の実施が行えなかっただけでなく、日本国内での社会的行動規範の制限のなかで必要となる文献を参照することができないなど、当初から想定していた国外での政治社会情勢の変動による研究活動計画の変更の想定を大きく超え、本研究計画にも影響が及ぼされた。そのため当初予定していた研究成果の統合についても、様々な制約があるなかで実施せざるをえず、最終的に当初の研究計画を1年間延長した。
とはいえ、本年度においては、昨年度までの研究活動を部分的にまとめ上げ、オンラインで開催された学会の研究大会において口頭発表を行った。またイランにおいて2020年2月末以降急激に新型コロナウイルス感染症が拡大するなかで、対策の陣頭指揮に統合参謀本部が深くかかわっていっただけでなく、同感染症への対応が「ジハード(聖戦)」であるという言説が生み出されてきたことで新たな殉教者概念の拡張が表面化し、現在進行形の分析対象として加えた。さらに本年度においては、隣地調査の実施を断念する一方で、先行研究の把握をより一層深化させながら、これまでの研究成果の取りまとめを進め、次年度に統合的な研究成果として発信できるように準備を進めた。そこで次年度には、最終的な研究成果物の刊行を進める。

2019年度活動報告

平成31/令和元年度においては、平成30年度の調査研究に基づく成果発信を行うとともに、現地イランの地方部の殉教者博物館をも対象に踏まえた聞き取り調査を実施した。また日本国内での本研究課題に関連した研究集会を他の研究事業と協力しながら開催し、本研究の将来的な発展に向けた準備に着手した。
具体的には、日本文化人類学会においては、イラン・イラク戦争の帰還志願兵による殉教者の取材活動について行ってきた調査に基づきながら、戦後のイランにおいて政治の場面で表出する情動と持続的支配構造との関係について研究報告を行った。また2020年年始にイランとアメリカとの緊張関係が急激に増すなかで表出した殉教言説を射程に入れた研究報告を所属機関内の研究集会で行った。
また12月半ばから年末にかけて、これまでテヘラン市を中心に行ってきた調査を、ガズヴィーン州、エスファハーン州ならびにマーザンダラーン州に拡大し、各地の殉教者博物館を中心に施設の運営の実施状況や、地方部での特色について焦点をあてた聞き取り調査を実施した。その結果、首都テヘランでの聖地防衛博物館などの施設が軍を含めた体制内の各関係機関によって展示等が拡充され、地方の大都市部では聖地防衛博物館が同様に整備されてきたことが明らかになった。また地方の中規模都市では殉教者博物館の整備が進められてきたものの、展示等については収集した遺品等を並べているだけでなく、実質的には博物館施設としては機能していないことが明らかになった。つまり地方中核都市と地方小規模都市では、殉教者をめぐって異なる事業が展開していることが明らかになった。
こうした研究課題に継続的に着手する一方で、今後本研究をイランという文脈だけでなく、第一段階として中東の他の社会やイスラームとの関係をめぐる共同研究へと発展させるための準備にも着手した。

2018年度活動報告

本年度においては、隣地調査と文献調査を基軸とした研究活動を実施するとともに、小規模な研究会において率先して報告を行った。
より具体的に言うと、隣地調査についてはイランのテヘラン市の殉教者博物館(イラン・イラク戦争の戦没者を対象とした博物館)や共同墓地の殉教者区画で、博物館関係者や博物館を運営する財団関係者を対象に展示物の収集や展示の意図、さらには展示方法について聞き取り調査を行った。また共同墓地で殉教者区画に参る遺族や親類、さらには「参詣者」についての聞き取り調査を行った。他方、文献調査については、隣地調査時に収集したイラン・イラク戦争の回想録や殉教者の回想録の読解を進めた。さらにそれらの回想録がどのように消費されるのかという側面についても調査を進めた。
また【現在までの進捗状況】で述べるように博物館の網羅的調査も含め、その都度実施している本研究に関連した研究活動について報告を行い、進めている研究内容について漸次ブラッシュアップを図るとともに、研究の方向性を再帰的に検討することができた。さらに本研究の対象が一連のイラン社会特有の事象である一方で、それらをイスラーム特有の言説、あるいは分派特有の言説として本質主義的な理解を図るのではなく、あくまで社会的な諸アクターの関係性のなかで言説として構築されてきたということを分析しているということを明らかにするために、一般向けの新書および研究者を志す可能性のある市民に向けた書籍の刊行を行った。