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近現代の日本と韓国における門付け芸能の変遷―伊勢大神楽と韓国農楽を中心に‐(2018-2023)

科学研究費助成事業による研究プロジェクト|若手研究

神野知恵

目的・内容

本研究は、芸能者が家々を廻って祝詞や歌などを奉納する「門付け」の芸能を対象とする。日本では古来より専門芸能者による門付けが盛んに行われたが、その多くは近代化の波を受けて衰退した。現在は西日本各地で巡業を続ける伊勢大神楽や、消滅の危機を越え近年復活を遂げた阿波木偶箱まわし等が残る。本研究ではそれらの巡業の詳細調査を行い、彼らと地域住民との関係性や、現地の祭りや芸能などへの影響、近現代における活動形態の変遷を明らかにする。
また、韓国を比較対象地域として取り上げる。韓国でもかつて専門芸能者による門付けが盛んに行われ、各地にその記録や影響が残されているが、度重なる戦争と経済成長を境に巡業を見ることはできなくなった。本研究では、両国においてそれまで重要な役割を担い、影響力を持っていた門付けの芸能が、近現代に存続の危機に立たされた理由や、巡業活動の維持および復活の変遷史を検討することを目的とする。

活動内容

2023年度実施計画

2022年度事業継続中

2022年度活動報告(研究実績の概要)

昨年度に引き続き伊勢大神楽の回檀調査と文献調査により各地への影響を検討し、大きく2点の成果を得た。ひとつは、伊勢大神楽に関連するわらべうたに関してである。伊勢大神楽についての描写を含む数え歌が滋賀県を中心に分布しており、その変化形が関東地方を含む全国各地に伝播していることが、市町村誌や現地録音資料からわかり、伊勢大神楽が地域文化に及ぼす影響の大きさや、歌による記憶・記録の在り方が明らかになった。これについては、東洋音楽学会大会で発表を行い、現在投稿論文での発表を準備している。もう1点は、継承者がおらず平成初頭に回檀を中止した松井嘉太夫社中についてである。松井の回檀地域のうち福井県の若狭湾周辺では、30年経った今も地域住民が松井について鮮やかに語る。宿泊や食事を担っていた「ヤド」の人々や、松井家の遺族へのインタ
ビュー、松井の姿を模して地域青年が行う獅子舞行事の存在を通じて、松井嘉太夫という個人が地域に与えた影響の大きさを知ることができた。このように廃業した社中が地域に残した影響・記憶・記録について今後考察を続けていく。
また、国内外でコロナ以降の開催となる家廻り(門付け)行事調査を再開した。とくに三重県四日市市での獅子舞による家廻り行事の調査では、伊勢大神楽が桑名や四日市から全国へ巡行するようになった背景にこの地の獅子舞文化があったということを知ることができた。今後は伊勢大神楽の発生の土台となるような獅子舞文化と、後世に影響を受けて発生した獅子舞との双方を検討していく。また、韓国済州市楸子島で家廻りの農楽の行事を調査した。コロナの影響で縮小されているものの、地域のつながりや芸能団体の活動資金の維持のために門付けが非常に重要な役割を担っていることが語られ、日本での状況との共通点が多くみられた。韓国の門付け芸能の近現代の変遷に関しては、助成期間を延長して共同研究会の開催を行う。

2022年度活動報告(現在までの進捗状況)

長引くコロナ禍の影響を受け、比較対象である韓国の農楽の近現代での変化について現地調査および共同研究会を予定していたが遂行が難しい状況であった。

2021年度活動報告(研究実績の概要)

昨年度にひきつづき、伊勢大神楽の各地での回檀への同行調査を重点的に行った。調査は滋賀県、三重県、福井県、岡山県、香川県、兵庫県で行った。本年度は長引くコロナ禍のなかで、地元の人々が神楽師に対して行う接待が制限されるなど、回檀に様々な影響が見られた。これについては、東京外国語大学AA研コロキアム「コロナ×フィールド座談会:コロナ状況下のフィールドとフィールドワーカー」(9月13日)や、早稲田大学人間総合研究センターシンポジウム「ポストコロナの祝祭を考える―伝統、ヴァーチャル、「生感」―」(11月6日)にて発表を行った。さらに、本年度は映像民族誌「それでも獅子は旅を続ける~山本源太夫社中伊勢大神楽日誌~」を完成させ、研究者の視点から見たコロナ禍での伊勢大神楽の現状をまとめた。次年度以降この映像を活用して更なる研究成果の発信を行っていく。
加えて、文献調査を行い、各市町村の地域誌等に見られる関連記事を収集した。これらの調査を通して、近現代における伊勢大神楽の活動の変遷を探った。その結果、①交通(徒歩、列車移動から自動車へ)、②制度(鑑札制度・宗教法人化等)、③ヤド(宿泊や食事の接待を行う家々の継承や増減)、④地域の芸能や祭礼文化との相互関係などに大きな変化が集約された。また、伊勢大神楽の家元である森本忠太夫家所蔵の一次資料のうち、大正末期・昭和初期の帳面の整理を行った。これによって、伊勢大神楽の檀那場が近代に様々に変化してきたことがわかった。調査結果は、投稿論文等に掲載する準備を進めている。
その他にも伊勢大神楽に影響を受けたとされる獅子舞団体のインタビューを行い、その影響関係や、演目・囃子、活動形態の共通性などについて調査した。比較対象となる韓国の門付け芸能の研究に関しては、2021年度に渡韓して共同研究会が開催できなかったため、助成期間を延長して本研究を引き続き行うこととなった。

2021年度活動報告(現在までの進捗状況)

伊勢大神楽を対象とした国内調査は、コロナ禍の影響を受けながらも部分的に行うことができた。比較対象である国内の他の芸能や、韓国の農楽については、現地調査・文献調査ともに遂行が非常に難しい状況であった。

2020年度活動報告(研究実績の概要)

今年度はコロナ禍により海外・国内ともに調査が困難であった。しかし専業芸能者である伊勢大神楽は西日本各地で巡行を続けていたため、その調査を重点的に行った。現地に行けない期間は、神楽師に電話等を通じてインタビューを行い、7月以降は岡山県、香川県、大阪府等で調査を実施した。疫病の流行という非常事態のなか、厄祓いの門付け芸能が現代人にどのように受容もしくは拒否されたのか、どのような意味を持つようになったのかという実証的研究につながった。
神楽師や報告者の予測に反して、地域全体で伊勢大神楽の訪問を断るケースはほとんど見られなかった。家々での厄祓いは、個人と伊勢大神楽との約束によって成り立っているものであるため、自治会がこれを阻止することは難しいという構造が明らかになった。また地域住民からは、毎年迎えてきた継続性を大事にする気持ちや、厄祓いの神事であるため断らない、断れないという心情を聞き取ることができた。一方、神社等で村人を集めて獅子舞や曲芸を披露する「総舞」は自治会の判断で中止になる傾向が強く見られた。伊勢大神楽はこれまで総舞と家々での悪魔祓いの双方によってその勢力を保ってきたが、地域側の経済的理由や他の娯楽の台頭などにより総舞はこの30年ほどで減少傾向にあった。今後コロナの影響でさらに変化することが予測されるため、引き続き注視していく。また、継続課題として、伊勢大神楽と地域の祭礼文化との関係(獅子舞の伝播や、地域祭礼への直接的・間接的影響)についての文献調査を、滋賀県、兵庫県、大阪府の市町村史誌を中心に実施した。また、国立民族学博物館に神楽師を招へいして、彼らが使用する道具類についての詳細な調査を行った。
これらの成果の一部は、東洋音楽学会や民俗芸能学会(いずれもオンライン大会)にて口頭発表を行ったほか、国立民族学博物館において制作したビデオテーク(短編映像作品)の内容に反映された。

2020年度活動報告(現在までの進捗状況)

伊勢大神楽を対象とした国内調査は、コロナ禍の影響を受けながらも部分的に行うことができた。比較対象である国内の他の芸能や、韓国の農楽については、現地調査・文献調査ともに遂行が非常に難しい状況であった。

2019年度活動報告

今年度はまず、巡行する芸能者にとって不可欠な宿泊や飲食を提供する「ヤド」に注目し、西日本で獅子舞と曲芸による回檀を続ける伊勢大神楽を主な研究対象として調査を行った。彼らの場合、以前は民家での宿泊が主であったが、家族構成の変化や経済的負担により旅館やホテル、持ち家、自宅通勤に代わっており、過去5年で民家での宿泊が無くなったことが明らかになった。一方、食事の提供に関しては、現地調査と文献調査を通じて、減少傾向にはあるが現在でも地域の公民館や個人宅が担う場合が多いことがわかった。阿波の木偶廻しや、東北の廻り神楽などの芸能のヤドにも同様の傾向が見られた。過去の宿泊や回檀の様式に関しては、森本忠太夫社中の昭和初期の出納帳を通じて分析研究を行い、国立民族学博物館より出版を予定している。次に伊勢大神楽の芸能の地方伝播を重要なテーマと考え、そのなかで笛の役割に注目した。神楽師が地域の人々に笛を教えたり、譲渡することよって芸の伝播が促されている場合が見られ、専業芸能者と地元住民の関係構築に楽器というモノが重要な役割を果たしていることが明らかになった。
韓国においては、門付け形式の活動を行っていた農楽の演奏者たちが、1920年代に興行公演を行うようになり、1960年代に舞台芸能化していった過程について、演奏者イブサンへのインタビュー調査を行った。
今年度はこれらの研究成果を、国内学会および講演で5回、韓国学会で3回、国際大会1回の発表によって報告した。とくに7月に行われた国際伝統音楽学会(ICTM)では、伊勢大神楽の映像上映を行い、各国の参加者から多様な反応を得た。研究成果の一部は共著『アジアを学ぼうブックレットシリーズ 音楽を研究する愉しみ』(令和1年10月、風響社)でも紹介した。また、12月に国立民族学博物館で伊勢大神楽山本源太夫社中の公演を行うことにより研究成果の社会還元も行った。

2018年度活動報告

本研究は近現代の日韓における門付け芸能の変遷を主題としている。今年度は、主に日本の関西各地で活動する伊勢大神楽の調査を行った。伊勢大神楽講社の四社中を対象とし、調査地域は大阪府、京都府、滋賀県、福井県、香川県、岡山県、兵庫県、三重県各地に及んだ。各地域において大神楽が歓待され、年中行事のなかで重要な役割を果たしている場面を見ることができたが、その存続を楽観視できない部分も多かった。とくに少子高齢化による回檀地の減少や、神楽師の人員確保に深刻な問題を抱えていた。本研究では比較を行うため、東北地方を中心に他の芸能団体についても調査を行った。八戸三社大祭における神楽などの門打ち、盛岡市黒川さんさの門付け復元行事、大船渡市越喜来の浦浜念仏剣舞による供養行事、吉浜の権現様巡行、宮古市黒森神楽の巡行を対象とした。また、韓国でも農楽が家々を廻る「コルグン」の行事を済州道楸子島で見る事ができた。演じる人びとはいずれも専業者ではないが、家々で芸能を奉納する代わりに報酬を得る門付けの行事においては、様々な点において共通性が見られた。
これらの調査の結果、家々を廻る儀礼は日韓で現在も続けられているが、その理由は家族の健康や家業の繁栄を願う信仰心による部分が大きいことが改めて明らかになった。また、先行研究では行事の演じ手を専業的な芸能者と村人に二分して考えてきたが、その相互関係や、中間的な存在も重要であることがわかった。研究成果は、申請者が所属する国立民族学博物館での研究会や、韓国木浦大学島嶼文化研究所の国際シンポジウムにて発表し、その内容が論文集『島と海の民俗研究、その行路と展望』として出版された(韓国:民俗苑、2019)。その他、国立民族学博物館『月刊みんぱく』(2018年10月号)での門付け芸能特集、公益社団法人全日本郷土芸能協会会報での連載記事においても調査の結果を一般公開した。