インド西部の地方都市における宗教実践とローカリティ形成に関する人類学的研究(2019-2022)
科学研究費助成事業による研究プロジェクト|基盤研究(C)
三尾稔
目的・内容
インドの地方都市はグローバル化の新たなフロンティアとなり、伝統的なネイバーフッド(身体の近傍に広がる実体的地理的空間)は変容しつつある。しかし、宗教実践に根差したローカリティ(対面的な社会関係に基づいて経験される生のあり方)を瞥見してみると、住民はネイバーフッドとローカリティを切断させることなく、独自の文化を維持しているように思われる。これは従来のグローバル化論の予想とは異なっており、それがインド社会の持続性の基盤となっていることが予想される。
本研究では、研究代表の調査研究の実績のあるインド西部の地方都市(ラージャスターン州ウダイプル市)を具体的事例として取り上げ、同市固有の神の寺院を核とした宗教実践とそれを支える人びとの社会関係の動態を社会人類学的手法によって調査し、グローバル化のもとでのインドの地方都市のローカリティの持続と変容の特徴の解明に貢献することを目ざす。
活動内容
2022年度実施計画
研究対象としているインドでは、現在は新型コロナウィルス感染症の流行は収束傾向にある。そこで今年度の夏以降に現地調査を実施する。また、これまでの調査から対象としている祭礼は対象地域出身の英米への移民の間でも維持され、実践されていることが分かっている。経費に余裕があり、かつ英米での新型コロナウィルス感染症の流行状況が好転している場合には、移民先での調査も実施する。調査の成果は地図データにも入力し、祭礼や寺院がローカリティの形成や維持にどのようなインパクトをもたらしているのか、視覚的にも明らかとなるよう成果をとりまとめ、総合的な成果の出版の準備を行う。
2021年度活動報告(研究実績の概要)
新型コロナウィルス感染症の世界的流行のため、研究対象としているインドでの現地調査の実施は見送らざるを得ない状況が続いているが、同感染症流行前に本科研費も一部利用して行った現地調査の成果に基づき、インド西部の地方都市の祭礼と同地におけるローカルな共同体の持続と変化に関して、「宗教祭礼の持続と再生―地方都市の女神祭礼にみる地域性の再生産」と題した単著論文(査読付き)を刊行した。この論文は、申請者が単独の編者として編集出版した『南アジアの新しい波 上 グローバルな社会変動と南アジアのレジリエンス』(2022年3月刊。昭和堂。掲載頁273-296)所収の論文である。この論文では、調査対象地域固有の女神祭礼の伝統を取り上げ、植民地期以前の記録を参照して、この祭礼が王権と密接に関連しつつ、カーストごとに形成される都市街区のアイデンティティー形成にも重要な役割を果たしてきたことを指摘した。また王国が消滅した現代インドにおいて、この祭礼が観光化される中でも、街区のアイデンティティーの維持において需要であること、またヒンドゥー社会において周縁的な位置づけに甘んじてきたダリトの人びとの社会進出の重要な契機となっていることを明らかにした。インドの地方都市における街区形成の論理、またここに果たす寺院や祭礼の役割について、従来文化人類学的な研究はほとんどなされていない。またこれが現代インド社会においてどのような意味を持つのか、という点も不明であった。本論文はこれらの点を実地調査の成果に基づいて記述・考察したものであり、インドの都市社会研究、宗教研究の進展に大きく寄与するものである。
2021年度活動報告(現在までの進捗状況)
新型コロナウィルス感染症の世界的流行により、計画していた現地調査が全く行えない状況にあるため。しかし、その中でもこれまでの調査に基づいた査読付きの学術論文を執筆・刊行できたのは大きな成果であったと思われる。
2020年度活動報告(研究実績の概要)
新型コロナウィルス感染症流行により現地調査が行えていないため、当該年度に公刊・発表執筆しした研究実績はない。但し、2019年度に行った現地調査に基づく中間報告的な民族誌を2021年度末に刊行予定の人間文化研究機構南アジア地域研究国立民族学博物館拠点の成果論文集に寄稿した。
2020年度活動報告(現在までの進捗状況)
新型コロナウィルス感染症の流行により調査地であるインドが基本的に外国人の入国を認めない措置をとっており、研究課題の遂行のために必須である現地滞在調査が行えていない状況にあるため。
2019年度活動報告
本科研費により2019年11月に調査対象地(インド・ラージャスターン州ウダイプル市)に赴き、カーストごとに維持されているこの地域固有の神格であるチャールブジャ神寺院の所在地とその維持形態等に関する基本的情報に関する悉皆調査に着手した。この結果、82箇所の寺院の所在を確認し、地図上にプロットすると共に、各寺院の建立時期、信者集団名とその集団の現在の居住地や居住形態、司祭のカースト名、当該寺院で行われる主な祭礼などについての情報を一覧で整理した。その結果、寺院の多くの建立時期は不明であるものの、伝承のある寺院については18世紀末から19世紀初頭に建てられたと想定されるものが大半であることが判明した。また、寺院の周辺に今もカースト集団の居住地が維持されている地区のみならず、カースト成員が別々の地域に散在して移住しているケースでも寺院での宗教実践が集団のアイデンティティやローカリティの形成や維持に重要な役割を果たしていることが、今年度の予備的な調査で判明した。さらにかつては寺院を造営することが認められていなかった低カースト民の間で、寺院を造り積極的に祭礼を行う例もあることが見出された。一方、この地域出身で英米に移住した人びとの間でもこの寺院に関連する祭礼が挙行されていることも判明し、祭礼がグローバル化とも密接に関連していることもわかった。
インドの地方都市におけるカースト集団と宗教実践の動態については現地調査に基づく研究がほぼ皆無であり、これの発見は現代インドにおける宗教動態の解明にとって大きな意味を持つ。11月の調査に基づき、上・中・下の3階層のカーストの事例を1つずつ取り上げ、さらなる現地調査を2020年3月に実施する予定だったが、COVID19感染症拡大のため断念せざるを得なかった。2020年度以降に調査を継続し、成果を論文にまとめる予定である。