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ポスト紛争期の水俣における「負の遺産」の生成過程に関する博物館人類学的研究(2018-2023)

科学研究費助成事業による研究プロジェクト|基盤研究(C)

平井京之介

目的・内容

本研究の目的は、熊本県水俣において、水俣病という悲惨な出来事を伝える場所やモノがいかにして「負の遺産」として保存されるようになったか、水俣病紛争が沈静化した現在の水俣社会においてそれらはどのような役割を果たしているかを明らかにすることである。
本研究では、①水俣病被害者が運動のなかで収集してきたモノや記録が1990年代以降になって、いかにして「遺産」と認識されるようになったか、②行政がどのような経緯でそれらを「負の遺産」として保存・活用するようになったか、③「負の遺産」は社会においてどのような役割をもつか、を解明することを具体的な研究目的とする。被害者団体や行政がおこなう広義の「博物館活動」を主な対象として、4年間で計8ヵ月にわたる参与観察を中心とした人類学的調査を実施し、聞き取り調査や文献資料調査等で補足することで、以上の目的を達成できると期待される。

活動内容

2023年度実施計画

2022年度事業継続中

2022年度活動報告(研究実績の概要)

令和4年度は、「負の遺産」の活用による社会への影響について明らかにするために、約1か月間の現地調査を実施した。現地調査では主に以下の4つの内容について調査をおこなった。①水俣病センター相思社や水俣病を語り継ぐ会、水俣市立水俣病資料館、熊本県水俣病保険課などを対象として、水俣病の歴史にかかわる遺産を案内するガイドツアーや体験学習、修学旅行などの活動が水俣社会や参加者にどのような影響を与えているかについて聞き取り調査を実施した。②水俣で水俣病を伝える活動に従事してきた4名の方に、案内や語りを通じて何を伝えようとするのか、なぜ伝えようとするのか、どのような手ごたえを感じているか等について、ビデオ撮影しながらインタビューをおこなった。③水俣病資料館の展示、水俣病関連資料データベース、水俣病犠牲者慰霊式、語り部制度、水俣病啓発普及事業などの水俣病を伝える活動を、被害者団体と行政とがいかにして協働でおこなってきたかに焦点を当てた聞き取り調査と文献調査を実施した。④水俣病センター相思社が運営する水俣病歴史考証館において、漁具や生活用具、生原稿などの展示資料がどのように保存管理されてきたか、それらの保存管理の方法が職員の水俣病の歴史についての見方とどのように関連してきたかに焦点を当てた聞き取り調査を実施した。
また、研究成果の一部として、「小規模ミュージアムの資料管理――水俣病歴史考証館の事例から」『国立民族学博物館調査報告』155号を発表した。さらに、1990年代に水俣で水俣病を伝える活動が始まった経緯について、これまでに収集したデータをまとめ、研究論文として発表する準備を進めた。

2022年度活動報告(現在までの進捗状況)

令和4年度は2か月間の現地調査を予定していたが、新型コロナウイルス感染症の影響があり、約1か月間の現地調査しかできず、予定していた複数の資料館・図書館における資料調査を実施することができなかったため、さらに1年間の補助事業期間延長を申請することとした。

2021年度活動報告(研究実績の概要)

令和3年度は、水俣病センター相思社、水俣病を語り継ぐ会、水俣市、熊本県などを対象に、1990年代に水俣地域で水俣病を伝える活動が生成した経緯に関する約2ヵ月間の現地調査を実施した。現地調査は主に次の2段階に分けて実施した。第一に、水俣病センター相思社に付置されている資料室において、1990年代に相思社と行政が共同でおこなった事業に関するデータを収集した。第二に、当時、それらの事業において中心的な役割を果たした市民を対象にインタビューを実施し、主要な事業が立案され実行に移される経緯について詳細なデータを収集した。新型コロナウイルス感染症拡大の影響により、3ヵ月間を予定していた調査期間を短縮せざるをえなかったが、それでも全体として、もやい直し、1995年政治決着、環境創造みなまた推進事業、水俣病関連資料データベース、水俣病犠牲者慰霊式など、1990年代以降に被害者関連団体と行政とが協働しておこなってきた水俣病を伝える活動の歴史について多くの貴重なデータを収集することができた。その後、収集したデータの整理と分析を進め、研究成果発表の準備を進めた。なお、研究成果の一部として、論文「小規模ミュージアムの資料管理――水俣病歴史考証館の事例から」を執筆し、論文集の一章として投稿した。さらに、1990年代から2000年代にかけて水俣病センター相思社が行政と協働で水俣病を「負の遺産」として保存・活用するようになった経緯について、これまでに収集したデータをまとめ、研究論文として発表する準備を進めた。

2021年度活動報告(現在までの進捗状況)

新型コロナウイルス感染症拡大の影響により、令和2年度に現地調査がまったく実施できなかったため、令和3年度にその分も含め、計3ヵ月間の現地調査を予定していた。しかし令和3年度も新型コロナウイルス感染症拡大の影響があり、現地調査は約2ヵ月間しか実施できなかった。そのため、最終的なとりまとめをおこなうだけの十分なデータを収集することができず、1年間の補助事業期間延長を申請することとなった。

2020年度活動報告(研究実績の概要)

令和2年度は、水俣病被害者関連団体と水俣市、熊本県による水俣病を伝える活動について、特に被害者団体と行政が協働でおこなう実践とその歴史に焦点を当て、約3ヵ月間の現地調査を実施する予定であった。しかし新型コロナウイルス感染拡大の影響により、予定していた現地調査の実施がまったくできなかった。
そこで、これまでに収集した水俣病運動の歴史、および水俣病センター相思社の活動についての聞き取りデータおよび文献資料を分析し、1968年の水俣病被害者支援運動から水俣病センター相思社の設立までの経緯、水俣病センター相思社が1980年代後半に水俣病歴史考証館という展示施設を設立することになった背景、さらに水俣病センター相思社が裁判闘争や直接行動から水俣病の歴史を伝える「考証館運動」へと運動方針を転換した理由について考察した。その際、フランスの社会学者ピエール・ブルデューのハビトゥスと界という概念を分析の道具として参考にした。その結果の一部は、「考証館運動の生成──水俣病運動界の変容と相思社」として『国立民族学博物館研究報告』45巻4号に発表した。また、国立民族学博物館共同研究会「博物館における持続可能な資料管理および環境整備──保存科学の視点から」において、「手作り資料館の持続不可能な資料管理──水俣病歴史考証館の事例から」というタイトルで報告した。これらの研究により、水俣病センター相思社は告発型の運動で蓄積してきた経済的、文化的、象徴的、社会的資源を活用してミュージアム活動をおこなっており、考証館運動は社会運動におけるひとつの闘争戦術であることを明らかにした。

2020年度活動報告(現在までの進捗状況)

研究実績の概要で書いたように、令和2年度は、本研究計画で最大の3ヵ月間を予定していた現地調査がまったく実施できなかった。ただし、メールや電話、オンライン会議システム等を通じて、水俣における水俣病を伝える活動に関する動向については情報を得ており、また各種団体のインフォーマントと良好な関係を維持しているため、令和3年度にその分も含めて長期の現地調査を実施し、データ収集に関して遅れている分については取り戻すことができると考えている。

2019年度活動報告

本年度は、水俣病を語り継ぐ会や水俣市立水俣病資料館、熊本県水俣病保健課などを対象に、水俣市周辺において約50日間にわたる現地調査を実施し、主として以下の2つの課題に取り組み、十分な成果を得ることができた。
第一に、1990年以降に水俣病問題に関連する行政の施策に参加してきた行政担当者やNPO職員、水俣病被害者からの聞き取り調査と、水俣病センター相思社が所蔵する水俣市の行政に関する文献調査により、水俣病資料館の博物館活動と、水俣市が進める「環境モデル都市づくり」活動の歴史、さらには水俣病によって分断された水俣社会の和解を目指す「もやい直し」活動の歴史について、有益な調査結果を得ることができた。
第二に、水俣市立水俣病資料館の運営に対する支援および助言をおこなう熊本大学受託研究「水俣病資料館資料整理等に係る業務委託」に専門家会議委員として参加しつつ、水俣病資料館の「負の遺産」を伝える活動について調査を実施した。また、水俣病を語り継ぐ会、水俣病センター相思社、環不知火プランニングが、熊本県水俣病保健課と協働して実施している水俣病問題啓発事業のうち、教職員を対象とした啓発事業、および児童生徒を対象とした学校訪問事業について調査を実施した。これにより、学校教育において水俣病の教訓を教育普及していくうえでのいくつかの問題点が明らかになった。
そのうえで、これまでの研究成果をまとめ、水俣において水俣病被害者を支援するNPO団体から水俣病を伝える活動が生成してきた過程についての民族誌を執筆した。これは令和2年度に学術雑誌に投稿する予定である。

2018年度活動報告

本年度は、水俣病センター相思社と水俣病を語り継ぐ会を中心に、水俣市周辺において約2ヵ月間にわたる現地調査を実施し、以下の2つの課題に取り組み、十分な成果を得ることができた。
第一に、熊本県の水俣病問題啓発事業による、児童生徒を対象とした学校訪問事業と、教職員を対象とした啓発事業に計10回程度同行し、学校教育の現場で水俣病を伝える活動がいかにしておこなわれ、そこでどのような問題が生じているのかを明らかにした。 第二に、一九八〇年代後半に水俣ではじめて「負の遺産」の保存・活用に本格的に着手した水俣病センター相思社で当時活動していた元メンバーにインタビューをおこない、水俣病歴史考証館が設立されるにいたった経緯と、水俣病被害者の支援活動が紆余曲折を経て水俣病を伝える活動に変容していくまでの詳細な過程について貴重な情報を入手することができた。
また「負の遺産」に関連する先行研究、および本研究が参考にするフランスの社会学者ピエール・ブルデューの理論的アプローチを整理をしたうえで、本研究のなかで取り組もうとする課題を検討し、今後の展望を加えて、学術広報誌『民博通信』に発表した。さらに11月には、台湾国立台北芸術大学博物館研究所から客員研究員としての招へいを受けて、約1ヵ月間当機関に滞在し、本研究の成果を研究会で発表し、意見交換するとともに、台湾にある「負の遺産」を伝える約20の博物館を調査し、水俣病の事例との比較研究をおこなった。このことは、これまでの研究の進捗状況と、今後の課題を確認するうえで有意義なものとなった。