国際会議「見えないものとは何か――東ユーラシア人類学のパースペクティブから」

日時 | 2025年10月26日(日)11:00~17:00 |
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場所 | 国立民族学博物館 第4セミナー室(本館2階) |
参加形式 | ハイブリッド形式(対面+オンライン) |
言語 | 英語(通訳なし) |
対象 | どなたでもご参加いただけます(事前登録不要) ※本研究会にご参加の方は万博記念公園各ゲート有人窓口で、みんぱくへ行くことをお申し出いただき、通行証をお受け取りください。 |
主催 | NIHUグローバル地域研究事業・東ユーラシアプロジェクト・みんぱく拠点 |
お問合せ | royterek★minpaku.ac.jp ※★印を@に変更して送信ください。 |
趣旨
グレゴリー・デラプラス、島村一平
いまや人類学者たちが強調するのは、西洋における、そしてそれを越えたモダニティの精神が、不可視の存在や力に満ちており、じつのところ19世紀の学者や(自称「近代の呪術師」を含む)公的知識人が「合理性」の領域から排除するために理論化した「呪術的思考」にきわめて透過的である、という点である(Meyer et Pels 2003; Jones 2017)。
世界は脱呪術化されたどころか、むしろ技術によってますます深く魅了され続けてきたのであり(Gell 1992; Nova 2024)、近年では人工知能の登場によってこの技術のもたらす魅了は新たな段階に入った。AIはもはや単なる道具ではなく、召使いや同僚、倫理的助言者、あるいは「想像上の友人」とも言える存在として、私たちの活動の隅々に浸透している。一方で、環境破壊が進むことで、私たちが生きる世界はどこか幽霊が取り憑いたような気配を帯びている(Tsing et al. 2017; Morimoto 2023)。そこには戦争の幽霊(Kwon 2008)や記憶の幽霊(Carsten 2008)が、パレスチナやウクライナでの侵攻や植民地状況からより直接的に立ち現れる危うさもある。
社会文化人類学は、人間世界における不可視の諸存在の移ろいに関して何か言えるはずである。というのも、人類学はその成立以来、世界中の「宗教」「文化」「コスモロジー」「オントロジー」を構成する多様な存在たちに関心を寄せてきたからである。しかし、日々その環境を生きる者たちが知覚する不可視の要素(Ingold 2013)、あるいは視点の転換によって明らかになるもの(Viveiros de Castro 2014)を、災厄の後に増殖する不可視の存在とどのように調停すればよいのか。知覚(あるいは単なる視覚)から一時的にでも逸脱した瞬間、あらゆる事物や存在が不可視になるというばかげたほど多様な可能性を、どのように秩序づければよいのか(Trower 2012)。さらに、社会制度としての「国民」すら、呪術に類する「不可視」として構想できるかもしれない。一度想像されたそれは、ヘイトスピーチや深い愛着といった現象に現実的な形で顕れるのである(Shimamura 2013)。もし人類学が、人間の変わりゆく生活と不可視の世界について語る挑戦を引き受け続けたいならば、人類学者はまず、この語で自分たちが何を意味するのかを明らかにする必要があるだろう(Delaplace 2022)。
本研究集会は、「不可視とは何か」を再考するためのささやかな呼びかけである。東ユーラシアというマクロ地域を基盤としつつ、この問題についての異文化的な視点を奨励し、さまざまな地域を専門とする研究者に対し、自らのフィールドで不可視のものに民族誌的にどのようにアプローチできるか、あるいはその土地で意味をもつために不可視を人類学的にどう定義すべきかについて議論していただきたい。不可視の人類学について協働的に思考することで、私たちはこの世界の理解に対して人類学が期待される固有の貢献をよりよく把握したいと考える。
ここで議論に付したい基本的な提案のひとつは、不可視とは知覚を逃れるというよりも、文化的に定義された、したがって偶有的な住まい方のあり方を超えることである、というものである。この視点からすると、不可視の出現とは、世界が社会につまずくとき、力が確立された権力構造をあふれ出すとき、存在が自らのオントロジーから逸脱するときに起こる出来事である。こうした不可視のあふれ出しが、さまざまな歴史的状況で経験される仕方の多様性は、どの程度まで根本的な人間経験を指し示し、人間が自ら十分には理解できない存在や次元と関係を結ぶ特有の能力を示すのだろうか。要するに本会議は、人間が自らが構築した社会的・文化的な枠組みを超えて世界の諸側面や諸次元に影響されるあり方を、民族誌的に考察する試みである。
この研究集会は、2022年から人間文化研究機構(NIHU)の「グローバル地域研究事業」の「東ユーラシア研究」プロジェクトの一環として開催される。「東ユーラシア」は、中国とロシア、そしてモンゴルや朝鮮半島などの隣接地域を含む広域的な概念である。私たちは、ロシアによるウクライナ侵攻が地政学的な構造を変容させ、西ヨーロッパ対東ユーラシアという新たな構造を生み出したと考える。この文脈において、ウクライナは「西ヨーロッパ」側の境界上に位置づけられるようになった。また朝鮮半島も、冷戦時代の単純な東西分断では捉えきれない複雑な様相を呈している。北朝鮮はロシア側につく一方で、韓国には多くのロシア人労働者が働いているからである。 こうした背景のもと、東ユーラシア研究プロジェクトは、中国とロシアという二大国を抱える地域における文化的衝突、ウェルビーイング、そして共生のかたちを探究している。本シンポジウムでは、東ユーラシアに焦点をあてつつ、他地域にも議論を広げることで比較的な視点を取り入れ、「不可視」との関わりのなかで人々がいかにしてウェルビーイングと衝突を生み出しているのかを議論していきたい。
プログラム
11:00-11:20 | Opening Remark Gregory Delaplace (EPHE, France) (25 minutes for presentation 10 minutes for Q and A ) |
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11:20-12:00 | “Ukrainian Popular Culture and Mythical Motifs during the War against Russia” Mitsuharu Akao (MINPAKU) |
12:00-12:40 | “Martyrs Are Alive: The Social Inclusion of the Dead in Contemporary Iran” Kenji Kuroda (MINPAKU) |
12:40-13:40 | Lunch Time |
13:40-14:20 | “Evil to whom? Transition in Practice of ‘Witchcraft’ among Lugbara of Contemporary north-western Uganda” Nobuko Yamazaki (MINPAKU) |
14:20-14:40 | Coffee Break |
14:40-15:20 | “Specters of Change: Ghost Stories and the Dilemmas of Modern Mongolia” Ippei Shimamura (MINPAKU) |
15:20-16:00 | “Invisible Authority and Denunciation in the Practice of Contemporary Mongolia: from Religious Ritual to Political Protest” Alevtina Solovyeva (University of Tartu, Estonia) |
16:00-16:40 | Discussion Chair: Gregory Delaplace |
16:40- 17:00 | Closing Remark Ippei Shimamura |