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ヒシャーム宮殿保存施設落成に思う

死海のほとりのパレスチナ自治区の街エリコに、8世紀に建てられたウマイヤ朝時代のヒシャーム宮殿という遺跡がある。みごとなモザイクの床絵で知られ、同地の博物館が管理していたものの、長らく荒れた状態になっていた。このモザイクを守るべく、日本政府のODAで保存施設の建設が進められていたが、今年2021年8月、ようやく落成した。野ざらし状態を知る者としては感慨深いものの、援助を受けながらここまで施設の建設を遅らせたパレスチナ自治政府の無能さに、うんざりする思いの方が強い。

ヒシャーム宮殿博物館を訪れたのは、2016年2月のことである。ちょうどその前年、JICAからみんぱくに委託されている博物館学コース研修で世話をした、女性研修員を訪ねていったのだ。日本での快活さそのままに、彼女は遺跡をくまなく案内し、保護シートをめくってモザイクを見せてくれた。「いつ屋根で覆われるかは、神のみぞ知るだけどね!」と笑いながら。

その晩は彼女の下宿に泊まり、遅くまで話をした。ところが時間が経つにつれて、彼女は憂鬱な表情を隠さなくなった。聞けば自治政府からの給料が、何ヶ月も未払いのままだという。「日本で学んだことを生かしたいけれど、私にだって自分の生活がある。パレスチナにいては、未来が見えない……」。結局、彼女はその後一年もしないうちに退職し、トルコへ行ってしまった。自治政府は、貴重な人材を一人失ったのだ。

周辺諸国が政情不安定で揺れ続けるなか、パレスチナは皮肉にも安定している。しかしながら、一部の特権階級のみが富と権力を独占する自治政府に対して、近年はパレスチナ市民から反発の声が強く発せられるようになってきた。つい最近も、自治政府に批判的な人権活動家の弁護士が勾留中に不審な死を遂げ、それに抗議する市民までもが大量に逮捕されるという事件があった。中東において、未来につながる改革とはいかにおこなわれるべきなのか。その問いは援助というかたちで現地の腐敗した体制に与している日本に対しても、突きつけられている。

菅瀬晶子(国立民族学博物館准教授)



関連写真

ヒシャーム宮殿のモザイク。まだ保存施設の屋根がなく、保護シートで覆われていたころ。2016年2月撮影。