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人類と焼き畑 世界共通の循環型資源利用

2022年5月7日刊行
池谷和信(国立民族学博物館教授)

今から20年以上も前、私はアフリカのカラハリ砂漠で野火をみたことがある。当初は、あたり一面に広がる火を早く消さなければと思ったが、水の入手しにくい砂漠ではどうにもならず焦ってしまった。するとそばにいたサンの男性は、これは人が火をつけたものであるという。火入れ後に生えてくる草の新芽を求めて動物がやってくるので、猟には好都合ということだ。実は、日本国内でも火を加えて植生を変えることは古くから行われてきた。富士や阿蘇の山麓(さんろく)での草原の火入れが知られているし、森の樹木を伐採後に火入れをした土地に植物を育てる焼き畑も同様のものだ。

かつてウランバートルにあった「黄の宮殿」
焼き畑地(主食のキャッサバ)での雑草除去の際に、皆に地酒がふるまわれる=ペルーアマゾンで2016年、筆者撮影

現在、民博では、焼き畑をテーマにした企画展を開催している。そこでは、10年ほど前まで焼き畑を行っていた九州(熊本県)の山村・五木村のおばあさんの暮らしを紹介している。今でも焼き畑の作物のアワやヒエの種を維持して家の近くの常畑(じょうばた)で栽培しており、米に雑穀をまぜて食べることもあるという。そして、焼き畑では作物栽培が終わって放棄された土地が森にもどるまでの20年近くのあいだ、山菜やタケノコなどを採集してきたというし、タケノコを求めるイノシシを捕ったこともあったという。屋敷畑を守るために今でも動物のワナを設置しているのは印象的だ。

企画展では、250年前の焼き畑の面積がわかる文書も紹介されている。山の斜面地であるために当時の焼き畑の面積は正確でないかもしれないが、そこで収穫されるアズキや山茶はすでに商品になっていた。また、当時、焼き畑以外にも狩猟や採集、ニホンミツバチの養蜂などを組み合わせて生活していたので、飢饉(ききん)になっても村では食べものに困ったことがなかったという。焼き畑を中心とした暮らしは、山地に適応した洗練された土地利用システムではないかと思えてくる。

現に世界をみると焼き畑が行われてきた地域は多い。展示場では、戦前に焼き畑が消滅した北欧のフィンランドから、現在も食料獲得のため焼き畑が重要な南米のアマゾン、国内でも焼き畑作物のカブがおいしいといわれる山形県鶴岡市などまで、各地の写真が並んでいる。これらをみていると、作物は異なるが伐採も播種(はしゅ)も収穫もよく似ている風景にもみえる。おそらく古くから人は火入れを行い一時的に農地に改変してから森や草原にもどしたのであろう。狩猟や採集に依存する人は、永久に土地が維持される常畑や水田とは異なり焼き畑に違和感はなかったのかもしれない。これまで水田はモンスーンアジアに共通する文化といわれてきたが、焼き畑は世界に共通する循環型の資源利用の方法である。焼き畑は、多様な環境で数百年以上にわたり食料獲得できる人類の知恵の一つであると私は考えている。