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北の沼、不眠の視線

北海道空知地方の中央部に位置する美唄(びばい)市内には、私がときどき訪れる場所がある。この地域では、道内一位の長さをもつ大河・石狩川の氾濫が繰り返されることによって広大な湿原が広がり、湖沼が点在している。かつての石狩川にはイトウやチョウザメが泳ぎ、周囲の湿原にはタンチョウが飛来した。だが、いまは田畑に囲まれている。

私が訪れるのは、石狩川の旧川だった三日月湖の菱沼である。菱沼の「菱」とは、水面に直径六センチほどの菱形の葉を放射状に広げて浮かび、中央部に花を咲かせる水生植物のことである。ひっくり返すと、鋭い両角をもった固い果実が三、四個ほど根元についている。アイヌ語で「ぺカンペ」と呼び、乾燥させて、食べるときに皮をむき、実を水でもどしてからお粥やご飯、ラタ(まぜ煮)などに混ぜる食材である。胃が悪いときに煎して飲むと効果もあるそうだ。

北の沼の底に 墓木が
一つ

鶴のとぶ日
おれは沼へゆき
葦の重みをたえる水に
菱貝をおとすが もはや
枯草はかれず
光はくだけ
沼は 死んでいる

菱貝の汁は かつて
おれのミルク おれの祖の糧
そのにごりは濃い

美唄出身の佐々木昌雄による「北・おれ」という詩の歌い出しである。ここの「菱貝」とは、ぺカンペのことであろう。ほかに「泥炭沼原」「火山灰地」など、彼の生まれたこの地を指すことばが次々と登場する。「墓木」は「墓標」と訳されるアイヌのクワのことだろうか。

「北・おれ」は、佐々木が二〇歳のときに一年間で書いた詩を、二五歳でまとめた詩集『呪魂のための八篇より成る詩稿 付一篇』(一九六八年)に載せた二篇目の詩である。佐々木はのちに執筆活動を断絶し、これは彼の唯一の詩集となった。近親者の死が彼を詩作に向かわせたことを示唆しており、軽々しく読める本ではない。「北・おれ」にあるように、「ほろぶべき」とされた詩人の祖先の「不眠の視線」が、出自に対するやり場のない苦悩を背負った青年の背中を覆い、「北海道」を注視しつづける。

白いこのにごりの地
北は
影の監視する島

私はいま、博士論文をまとめて、佐々木昌雄の思想に焦点を当てた本を執筆中だが、心はたびたび佐々木の詩を重ね合わせた菱の浮かぶあの沼に戻る。

マーク・ウィンチェスター(国立民族学博物館助教)



関連写真


雪に埋もれた真冬の菱沼。
(マーク・ウィンチェスター撮影 2024年)



三日月湖である菱沼の形がみえる。
(マーク・ウィンチェスター撮影 2024年)



9月の菱沼。遠くに浮かんでいるのが見える。
(マーク・ウィンチェスター撮影 2017年)