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砂澤ビッキとの出会い

2024年12月2日刊行
マーク・ウィンチェスター(国立民族学博物館助教)

初めて北海道を旅したのは、日本に留学中の2001年の夏だった。友人と、あの「青春18きっぷ」を購入し、関東から出発した。当時、英シェフィールド大学で歴史学者のリチャード・シドル先生に教わっていた。先生の影響を受けて、アイヌ民族の戦後の政治活動についての卒論を漠然と構想していたが、その20年後に、私が先生のアイヌ史研究の集大成である本を翻訳し、『アイヌ通史』として刊行することになるなんて思いもよらなかった。

旅の写真をめくると旭川、千歳、白老、二風谷、静内など、仕事や遊びのために後に何度も再訪することになった多くの場所が目に飛び込んでくる。旅の宿泊は全てテントで、どこで張るかはその日に決めた。

旅中に現代彫刻家・砂澤ビッキ(1931~89年)の生誕70年を記念した作品展が旭川で開かれているとのチラシをもらったのは、近くの川村カ子トアイヌ記念館だったと思う。シドル先生の本を読み、73年の札幌メーデーに参加した各地のアイヌ有志の先頭に、ビッキがデザインした旗が掲げられたことや、ビッキが、同年1月に地方別団体組織を超えて自由に話し合い、アイヌが「どうすべきか」という共通点を探る集会「全国アイヌの語る会」の呼びかけ人代表と司会を務めたことは知っていた。それまでのアイヌの政治を変えようとした出来事だ。しかし、私はビッキの芸術作品を生で見たことはなかった。展覧会場の閉館時間まではあとわずか。急いで街を駆け抜けた。

会場に入ると、磁気のようなエネルギーに包まれた。各彫刻の形態は、どこか不気味であると同時に、妙に私を惹きつけ、「触れてくれ」「いじってくれ」と誘ってくるようだった。ビッキの作品の特徴である鱗状のノミ跡が全体を覆い尽くした≪神の舌≫(80年)の前で立ち止まったのを覚えている。

≪神の舌≫は、夢から着想を得たという。高さ約2メートルの大きな曲線は作品に躍動をもたらし、エロスが吹き込まれている。遊び心があり、ビッキの手で再生された原木の生命も感じる。カムイにアイヌの祈り詞を補って伝える祭具「イクパスイ」の先端にある刻み「パルンペ(舌)」に例えられることもある。

ビッキは生前、創作時に「アイヌを意識していない。意識しないところに出るものこそ、本質ではないか」と、何度も口にした。シュールレアリスムを吸収したビッキの芸術は、彼の政治活動と同じく、同時代を反映した既存の表現形態に風穴を開けようとするところがあった。マジョリティーの心地よい範囲内でしか「アイヌ」が語られなくなる危険性をはらむ今、ビッキの芸術は時代の流れとは異なる地平を切り開いてくれるのではないだろうか。