羊の分かち合い セネガルの犠牲祭タバスキ
2025年7月7日刊行
池邉智基(国立民族学博物館助教)
SNSでセネガルの友人たちからメッセージが届くと、「またこの季節がやってきたか」と思う。内容はどれもほとんど同じだ。「羊を用意しないといけないが金が足りない。少しでいいから援助してほしい」
この季節とはイスラムの暦に基づく年中行事イード・アルアドハー(犠牲祭)のことで、2025年は6月6日、7日だった。この日は預言者アブラハムが神の命を受けて息子を犠牲に捧げようとした逸話に由来し、神への信仰を示すためムスリムは家畜を屠る。ムスリム人口の多い西アフリカでも犠牲祭は広く行われており、タバスキという名で呼ばれている。セネガルのタバスキでは一家で一頭は羊を用意し、屠った肉を調理して、家族や友人と分かち合う。

タバスキ前の羊市場
=セネガルの首都ダカールで2022年6月、筆者撮影
約10年にわたってセネガルで調査してきた私も、これまでに何度もタバスキに参加してきた。首都ダカールの街区では至る所で羊の鳴き声が響き渡り、友人たちは皆「うちで一緒に祝おう」と誘ってくれた。いろんな家庭のタバスキに客として参加し、羊肉の炭焼きや、煮込み料理などをもてなされてきた。
しかし、タバスキはとにかく金がかかる。「家族のために羊を用意するのが男の仕事」といった社会的な規範があり、男性たちは毎年頭を悩ませる。ダカールで取引される羊一頭の価格はおおよそ5万円ほどであり、その額はセネガルの最低月収の3~4倍にあたる。給料の前借り、親族や友人からの借金、海外に住む家族・知人への連絡など、羊を買うために男性たちは奔走する。タバスキに合わせて家族で服を新調することもあり、さらに出費がかさむ。就職難と物価高が押し寄せる中、男性たちは金策に悩み、困った末に、日本に住む私にまで連絡をするのだ。
長年の調査で世話になっている友人Sもまた、私に連絡してきた一人だ。今年の初めに彼の弟が大怪我をして入院しており、ちょうど退院の時期とタバスキが重なっていた。医療費と羊代をなんとか工面していたが、あと2万円ほど、どうしても足りないという。実は弟の入院費用も私が一部肩代わりしていた。思わず「またか」とため息が出たが、苦しい状況も理解でき、結局、海外送金の手続きをした。
タバスキ当日、ビデオ通話でSの家族から私に挨拶と感謝の意が伝えられた。「あなたはうちの家族なんだから、来年は絶対にセネガルでタバスキを祝いなさい」。外国人の調査者として関わってきた私は、いまやただのお客さんではなく、もはや家族として扱われている。「またか」と思いつつ財布の紐をゆるめることは、ある意味で家族の一員として期待される振る舞いなのだろう。来年もきっと「またか」と思うのかもしれないが、来年は羊肉を食べながら、共に祝えることを願う。