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五木村「佐々木高明の見た焼畑」展オープニング挨拶

皆さんこんにちは。はじめてお目にかかります。大阪、千里にあります国立民族学博物館(みんぱく)館長の吉田憲司です。

このたびは、こちらヒストリアテラス五木谷での五木村と私共みんぱくの共催展示「佐々木高明のみた焼畑 五木村から世界へ」の開幕式にお運びいただき、誠に有り難うございます。

佐々木高明のみた焼畑
写真1:「佐々木高明のみた焼畑―五木村から世界へ」展のポスター

タイトルにございますように、今回の展示は、私ども国立民族学博物館の第2代館長である故佐々木高明先生、親しみを込めて、佐々木さんと申し上げますが、佐々木さんが1960年前後にこちら五木村で、国内で最後といわれる焼き畑をつぶさに目にし、それを写真に収め、そこからアジアにつながる照葉樹林文化を明らかにしていったという、その軌跡を追うとともに、改めてその研究の原点であるこちら五木村の焼き畑をふりかえってみようという趣旨で、現在みんぱくが所蔵しております佐々木さん撮影の写真を中心に展示を構成したものです。

私ども、みんぱくは、国立民族学博物館という名で博物館を名乗っておりますが、法律上は、国立大学法人法のもと設置された大学共同利用機関のひとつであり、まずもって、文化人類学・民族学の研究所として設立されたものです。その研究機関が、博物館という、研究成果を蓄積・公開する回路をもち、また、総合研究大学院大学の地域文化学と比較文化学というふたつの専攻の博士課程の教育機能も持っている。みんぱくというのは、そういう、研究、博物館、教育という三つの機能を併せ持った世界的に見ても大変ユニークな機関です。

みんぱくに所属する研究者は、現在52名。その一人ひとりが世界各地でフィールドワークに従事し、そこで得られた成果をさらなる研究活動や展示活動につなげています。また、その研究者自身が、世界各地で民族資料の収集に従事し、研究資料としてのコレクションを築きあげてきています。

みんぱくは1977年に大阪・万博の跡地、万博公園に開館しました

以来、この43年間にみんぱくが世界各地で収集してきた標本資料は、現在、約34万5000点を超えますが、これは、20世紀後半以降に築かれた民族学関係のコレクションとして世界最大のものとなりました。また、みんぱくは、その施設の規模において世界最大の民族学博物館となっています。

そのみんぱくは、モノだけでなく、写真を含む映像音響資料も多く所蔵しています。そのひとつが、佐々木高明さんの撮影された焼き畑関係の45000点に及ぶ写真なのですが、ここにおりますみんぱくの池谷和信教授がこちら五木村のご協力を得ながらデータベース化し、昨年、「焼き畑の世界、佐々木高明のまなざし」として公開いたしました。今回の展示は、その写真の中から  点を選りすぐり、佐々木高明のみた焼き畑をご紹介するものです。

みんぱくでは現在、「フォーラム型情報ミュージアム」というプロジェクトを推進しております。このプロジェクトは、みんぱくの所蔵する標本資料や写真などの映像音響資料の情報を、国内外の研究者や利用者ばかりでなく、それらの資料をもともとつくっていた社会の人びと、あるいはそれが写真ならその写真がもともと撮影された地域の人びとと共有し、そこから得られた知見をDBに加えてそのDBをともに育て、国際共同研究に生かすと共に、人びとの記憶の貯蔵庫として将来に継承していこうというものです。標本資料を展示の形で現地にもっていって行くこともあれば、現地の人びとに実際にみんぱくへ来ていただいて情報をつけてもらうこともあります。実際に来ていただけない場合は、現地でインターネットを使ってみんぱくの標本資料をひとつずつスクリーンに表示して、それを巡って現地の人びとの意見を聞くといこともあります。その時、付加していただくその情報というのも、単にモノの名称や使用方法だけでなく、そのモノについて自分が持っている記憶や経験も語ってもらって、それを動画でとりデータベースに組み込んでいきます。このプロジェクトに協力していただいている方々にお聞きすると、自分たちは、みんぱくの資料のデータを充実させるという以上に、ここに自分たちの経験や記憶を記録し、自分たちが合うことがないかもしれない孫やひ孫たちに伝えたいのだとおっしゃいます。結果的にみんぱくは、人類の記憶の貯蔵と継承の場になっていっていると言えます。過去に現地で撮影された写真を現地にもっていくと、ああ、自分のひいばあちゃんだ、ひいじいちゃんだと、大騒ぎになり、涙を流して喜ばれることもあります。この活動は、みんぱくが目指している人と人の出会いと相互の啓発の場としての「フォーラムとしてのミュージアム」のありかたを、博物館展示のあり方だけでなく、博物館の資料情報の蓄積のありかた、さらには人類学の研究活動のありかたにも徹底させていくものといえると思います。

今回のこちら五木村での展示は、まさにこのフォーラムとしてのミュージアムの在り方を実践する、きわめて重要な機会だと認識しております。できれば、この展示をご覧いただき、村の皆さんの中で、何か思い出されたこと、また、おじいちゃんおばあちゃんから聞いた話とつながるといったことがあれば、ぜひ、お聞かせください。それを先ほど申しましたみんぱくのデータベースに組み込み、みんぱくのデータベースを五木村の方々の記憶の継承の装置として利用していただければと思います。

実は私も、人類学者の駆け出しの学生の頃、紀伊半島の王塔村や長野県伊那谷の遠山郷で、1970年代、消えたばかりの焼き畑の調査をするところから自分のフィールドワークを始めました。当時から佐々木さんのお仕事は私のお手本だったわけです。
日本では生業として事実上消滅し、南米や東南アジアでは大規模自然破壊の要因として非難の対象にさえなる焼き畑ですが、実は日本やアフリカなど、小規模で耕作地を順次移動していくという耕作方法は、まさにサステイナブル、持続可能な生産形態で、ある意味時代の先端を行く農耕の方法とさえいえるように思います。今回の展示を通じて、五木村が世界に誇るかつての焼き畑をあらため見つめなおしていただき、村の誇りとして、この記憶を次の新しい時代を担う世代につなげていっていただくことができれば、こうした資料を守り伝えている私たち博物館の人間にとってもうれしい限りです。
11月29日までの会期ですが、一人でも多くの皆さんにご覧いただければと願っております。

最後になりましたが、この展示の実現に当たっては、木下丈二村長はじめ   五木村のみなさま、に大変なお力添えをいただきました。ご支援にこの場をかかりまして御礼申し上げます。この度は本当にありがとうございました。

出づくり小屋
写真2:五木村に残る焼畑跡地の出づくり小屋

館長の活動の一端を館長室がご紹介します

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