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2023年 年頭のあいさつ

皆さん、あけましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。
今年の元旦、日本海側は雪になったところも多かったようですが、太平洋側では 晴天に恵まれ、初日の出を拝まれた方もおられたのではないでしょうか。皆さん、穏やかな新年をお迎えになったことかと思います。

新型コロナウイルス感染症の収束はいまだ見通せず、今年もまた、コロナ禍の下での年明けとなりました。一方で、私たちの生活を取り巻く制限は大幅に緩和され、みんぱくの活動も、ようやく、元の状態に復してきています。昨年の後半、海外でのフィールドワークも、一斉に再開されましたし、海外の研究者を招いた対面でのシンポジウムや研究集会も、活発に おこなわれるようになっています。

背景の写真ですが、毎年、年の初めには、その前の年の海外でのフィールドワークの写真を選んで来たんですが、私自身は、昨年は、まだ、ザンビアのフィールドへ戻ることができませんでした。代わりに今年は、ウサギ年ということで、古い写真からウサギの写真を探してみたのですが、生身のウサギは、画面中央上下の、日本の広島県大久野島で撮影したウサギの写真しか見当たりませんでした。ザンビアで撮影したウサギの写真もなくはなかったのですが、いずれも狩りで獲物のウサギを仕留めたシーンで、あまり新年早々からお見せするような画像ではないなと思って控えました。

この画面左右に配置したのは、私のフィールド、ザンビアのチェワの村で撮影したものですが、左が男たちが作っている仮面結社ニャウの、ウサギの仮面の製作途中の写真。一方、右は、女性の成人儀礼チナムワリ中で女性の教育に用いられる粘土像のひとつで、ウサギの像です。チェワの人たちの間では、ウサギは、すばしこく、賢い動物とされています。このため、ウサギの仮面の踊り手は素早い動きを見せますし、女性の成人儀礼ではウサギは、その賢さから知恵袋、つまり儀礼で様々な教育を少女に授ける教師になぞらえられます。

今年が、人々の知恵、英知を集めて、様々な困難を克服する年になることをねがうばかりです。

この年頭のご挨拶では、毎年、その年の抱負や計画についてお話をしてきていますが、3年前の新型コロナウイルス感染症の地球規模での流行といい、昨年のロシアによるウクライナ侵攻といい、年頭には、想像もしない出来事がこの間続いてきました。安易に未来を語れないような状況が続いています。

私は近年、さまざまな機会に、人類の文明は、今、数百年来の大きな転換点を迎えていると申し上げてきました。これまでの、中心とされてきた側が周縁と規定されてきた側を一方的に支配し、コントロールするという力関係が変質し、従来、 それぞれ中心、周縁とされてきた人間集団の間に、双方向的な接触と交錯・交流が、創造的なものも破壊的なものも含めて、至る所で起こるようになってきている、という意味においてです。

そして、グローバル化の動きの中で、新型コロナウイルス感染症がほぼ同時に地球全体に広がるという事態に及んで、私たちは、今、人類がこれまで経験したことのない局面にいやおうなく立ち会うことになりました。

その状況の中で、私たちが現在の生活を送るうえで当たり前と思って来た慣行やルール、とりわけ、人類が近代に入って作り上げてきたあらゆる制度や規範の成り立ちやありようが洗い出され、その意義と存在理由が改めて問われることになっています。しかも、このコロナ禍のもと、社会に潜在していた差別意識や格差が浮かび上がり、世界の新たな分断が生じてきています。戦後、世界が作り上げてきたシステムも揺るぎ始め、他者に対する不寛容や偏狭なナショナリズムが頭をもたげる局面が各所でみられるようになっています。

今回のロシアによるウクライナへの侵攻も、唐突のように受け止められますが、それに続くウクライナ側の根強い抵抗の過程を含めて考えると、この状況は、私が先程申し上げた、中心が 周縁を一方的に支配するという力関係が崩れ、両者の間で双方向的な応酬が続くという現象のひとつといえるのかもしれません。
そして、こうした双方向的な接触・交錯の動きが認められるのは、集団間の紛争や政治の分野のみではありません。今、博物館の世界で、おそらくは博物館の歴史始まって以来の大きな転換点を画すような動きがみられます。昨日の夜のNHKのBSの「パンドラの箱”が開くとき 文化財返還 ヨーロッパの最前線」という番組でも取り上げられていましたが、それは、欧米の博物館・美術館に所蔵されている、植民地時代に略奪あるいは拾得された文化財をその本国に 返還する動き画活発化しています。NHKの番組では、それを、文化財の返還競争が起こっていると表現していました。

きっかけになったのは、フランスのマクロン大統領が2017年11月に西アフリカのブルキナファソでフランスの国立博物館・美術館が所蔵するアフリカ遺産の返還を声明し、その先駆けとして2021年、そのブルキナの隣のベナン共和国、アボメイの王宮への26点の作品の返還が実現したことです。そして、さらに大規模な 返還の動きがみられるのが、ナイジェリア、ベニン王国の真鍮彫刻をめぐる動きです。

ナイジェリアに13世紀ごろから栄えたベニン王国は、1897年、イギリスの遠征隊により征服され、王宮に所蔵されていた真鍮製の頭像や壁面装飾盤、象牙製の品など、貴重な宝物が遠征軍の手で大量に接収されました。

それらの宝物は、現在、イギリスの大英博物館、ドイツ・ベルリンの民族学博物館、アメリカスミソニアン協会のアフリカ美術館など、アメリカ、ニューヨークなど、欧米の博物館・美術館に所蔵され、現地ベニン・シティはもとより、ナイジェリアにもわずかしか残されていません。

オックスフォード大学の教授ダン・ヒックスは、大英博物館を皮肉ったThe Brutish Museum: The Benin Bronzes, colonial Violence and Cultural Restitution (野蛮な博物館:ベニン・ブロンズ、植民地支配の暴力、文化財返還)という著書の中で、ベニンの作品を収蔵している博物館をリストアップし、その中に、日本の国立民族学博物館(民博)も2点の作品を収蔵しているとしていますが、これは現在みんぱく本館のアフリカ展示場にも展示している複製の誤認です。
それはともかく、イギリスでは、昨年の2月に アバディーン大学とケンブリッジ大学のジーザス・カレッジが、ベニンの彫像それぞれ1点を返却したのを皮切りに、昨年の末には、同じケンブリッジ大学の考古学・人類学博物館(あの、ニック・トーマスが館長をしている博物館です)が、ベニンの彫刻116点を王国に返還することを決定し、ロンドンのホーニマン博物館も美術館も72点の作品の返還をすでに発表しました。

ドイツでは、昨年、政府がドイツ国内にある1130点に及ぶベニンの作品すべて返還することを約束ました。そのうち、とくにベルリンの民族学博物館が所蔵するベニンの彫刻数十点の返還を2023年、今年中に実施することを決定したうえで、そのドイツでの最後の展示を、一昨年新たに開館したフンボルト・フォーラムで昨年9月に開催しています。

こうした動きに合わせて、2018年から、ベニン王国の都ベニン・シティの王宮内にエド西アフリカ美術館(Edo Museum of West African Art, EMOWAA)という新しい美術館を作り、世界各国に分散しているベニンの頭像や壁面装飾などの美術作品を収容しようという計画が開始されました。

この計画は、イギリス、ロンドンの大英博物館をはじめとする欧米の博物館、ナイジェリア国内の博物館、そしてベニン王室、エド州政府、ナイジェリア政府の代表で構成する「ベニン・ダイアローグ・グループ(BDG)」というコンソーシアムの手で進められています。まずは、王宮内の発掘調査から始め、先に収蔵施設を稼働させて、美術館の完成・公開は2025年を予定しているといいます。大英博物館はもちろん、ベルリンの民族学博物館などドイツの博物館も、所蔵するベニンの作品の「返還」もしくは事実上の返還となる「長期貸与」を約束し、ベニン・シティの新たな美術館での作品の収蔵と展示の実現に協力することを言明しています。

実際の返還に向けては、まだまだ多くの課題も残されていますが、このように植民地支配の苦難の経験を、博物館のネットワークによる協力を通じて、未来に向けた新たな関係を生み出そういう努力がようやく始まろうとしています。

それは、2019年のICOM(国際博物館会議)京都大会で大きな話題となったdecolonization 、博物館の脱植民地化の動きともいえるものです。

博物館が一方的に資料を収集し展示するという力関係が、180度転換し、博物館からソースコミュニティへの大規模な資料返還の動きが顕在化してきたという点で、やはり、この動きは、博物館の歴史の中で、最大の転換点を画するものといえると思います。

ご承知のように、民博は、この博物館という装置を、館の研究者と利用者、そしてその所蔵資料をもともと生み出したコミュニティの人々との相互の交流と啓発、協働・ 共創の場、つまりフォ-ラムと規定して、研究、博物館活動を展開してきました。
とくに過去10年にわたって続けてきたフォーラム型情報ミュージアムと、昨年度からその後継として開始したフォーラム型人類文化アーカイブズの構築のプロジェクトは、この双方向・多方向の交流を焦点化し、そうした関係の構築をよりポジティブに創造的な方向に展開させようというプロジェクトですが、世界の大きなうねりと歩調を合わせる、あるいはそれを先導するという意味でも、今後も、積極的にそのプロジェクトを推進して、研究を積み重ねていきたいと考えています。

今日の冒頭で、昨年の後半には、民博の研究者のフィールドワークも、また、海外の研究者を招聘したシンポジウムや研究集会の活動も、もとの状態に服してきたと申しましたが、とくに昨年の暮れ、11月から12月にかけては。海外からの デレゲーション(使節)や、各国の大使、総領事の来訪が目立って増えてきました。

とくに11月の末には、ニュージーランドの先住民、マオリの各グループの長で構成されるテ・アラティにという団体の皆さん15人がお見えになり、まずハカのパフォーマンスの披露を受けた後で、会談の場を持つ機会がありました。

2025年に予定されている大阪・関西万博にニュージーランド政府はパビリオンを建設するという形での参加はしないそうですが、このマオリの皆さんは ニュージーランド政府のバックアップも受けて、8月10日、世界先住民デイをはさむ一週間を世界の先住民の文化週間として、シンポジウムやパフォーマンスなど文化的行事を開催する週にしたいという希望をお持ちだということで、シニア・アドバイザーを務めている私に対する支援の要請だったのですが、テ・アラティニの皆さんは、ニュージータランドのパビリオンがないのなら、自分たちは、アウトリガー・カヌーでニュージーランドから大阪の万博会場まで航海し、会場の港に係留してフローティング・パビリオンにしたいと、これは本気で考えておられるようでした。

また、年の瀬の12月25日には、台湾の原住民族委員会のご一行、委員長以下8名の皆さんが民博に来られました。委員会の委員長は、日本でいう大臣に相当する方だそうですが、原住民族委員会では、今、国立原住民博物館の建設を計画されているそうで、敷地も決まり、その内部の組織や展示の設計について支援を求められて、当日は野林さんから民博の組織や活動について詳細な説明をうけられ、本館展示も御覧いただいて、皆さん充実した視察ができたと喜んでおられました。

双方向的な接触・交錯・交流といった世界の力学の変化に合わせて、世界が民博を見る目、民博に期待するものも大きくなってきているのを実感します。

ただ、その一方で、先ほど申し上げたコロナ禍の中で、社会に潜在していた差別意識が浮かび上がり、さまざまな新たな分断が生じてきていますそれだけに、人びとが、異なる文化を尊重しつつ、言語や文化の違いを超えてともに生きる世界を築くことが、これまでになく求められます。
今ほど、他者への共感と尊敬、そして寛容に基づき、自己と他者についての理解を深めるという文化人類学の知と、民族学博物館の役割が求められる時代はないと思います。

本年も、これまで同様、ご協力・ご支援を賜りますよう、どうぞよろしくお願いいたします。 

館長の活動の一端を館長室がご紹介します

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