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2024年 年頭のあいさつ

皆さん、あけましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。

今年は、正月元旦から思いもかけない新年の幕開けとなりました。
朝は初日の出を拝める穏やかな新年を迎えた地域も多かったようですが、夕刻に能登半島地震が発生。沿岸各地に津波がおしよせる一方、輪島が大火、大規模火災に見舞われて、人命も含めて、甚大な被害が発生しました。

能登には、一昨年の石川県七尾美術館でのビーズ展以来、ご縁をいただいてお付き合をさせていただいている方が多くおられますし、またそれをきっかけに始めた奥能登のキリコ祭り、つまり奉灯、灯籠の奉納のお祭りの調査でお世話になった方々も多く、その安否が気にかかっておりました。皆さんのなかにも、帰省中に影響を受けられた方、またご親族で被害に遭われた方もおられるのではないでしょうか。
亡くなられた方には、衷心より哀悼の意を表しますとともに、被災された方々には、心よりお見舞い申しあげます。

こうして地震と津波の被害に目を凝らしているうちに、一昨日の、日本航空516便と海上保安庁の航空機との衝突、炎上のニュースが届きました。

一方で、海外では、ウクライナでのロシアとの紛争に、ガザへのイスラエルの侵攻。いずれも、戦闘の終わる見通しは立ちません。また、コロナウイルス感染症のほうも、年の暮れから感染の増加が顕著になってきているようです。

私たちのあたりまえの生活というものが、いかに微妙なバランスの上で成り立っている、ある意味では奇跡というほかない賜物であることを改めて感じさせられます。

さて、冒頭に掲げた写真ですが、毎年、年の初めには、前の年の海外でのフィールドワークの写真を選んでご紹介してきました。今年、ここに挙げているのは、昨年8月に4年ぶりにザンビア、チェワの人々の村カリザに戻った時の写真です。
4年ぶりに戻った村では、仮面結社ニャウへの加入儀礼の真っ最中でした。

コロナ禍の間、いっさいの儀礼が政府によって禁止されていたため、4年ぶりに開催されたニャウへの加入儀礼には、19人もの少年が参加することになった、つまり儀礼を受けることになり、隔離の期間の最終日、一人前の成人男性としての教育を終えて少年たちを送り出す儀礼は、公開で行われて、大規模な祭典と化していました。

加入儀礼の期間中少年たちは、森の中に隔離され教育をうけますが、儀礼の最初と最後の段階では、このように腕を組んでうずくまった姿勢をすることを強要されます。この姿勢はウジョリカといわれますが、これは死者が出た時、親族が喪に服する際の姿勢と同じです。隔離の期間中、少年たちはいったん死に、この送り出しの儀礼をもって一人前の男として生まれ変わるということになります。

この場面で少年の背中に親族がお金、いわばチップ、を置くと、ニャウの踊り手はそのお金を取ってその子には鞭を当てない。一方、親族がお金を置いてくれない少年はひたすらたたき続けられるということになります。

少年の送り出しの儀礼がこうして公開の場で行われるのはこれが初めてです。ニャウの踊り手にとっては、こういう形で新たな収入が確保できることが分かったので、この送り出しの儀礼は今後もこうした公開の形で行われるようになっていくだろうと思います。コロナ禍を契機に、新たな伝統が作り上げられたと言ってよさそうです。
それはいいかえると、我々の前にある伝統は、こうした大きな変化の積み重ねの上に成り立っているということでもあろうかと思います。

さて、変化の積み重ねという点でいうと、今年は、民博にとって、創設50周年の年ということになります。

みんぱくは、 国立学校設置法の一部を改正する法律(昭和49年法律第81号)の施行によって、1974(昭和49)年6月7日に創設されました。その後、建物の工事に着手して、1977(昭和52)年 11月に本館の新営工事が竣工し、オセアニア、アメリカ、ヨーロッパ、アフリカ、音楽、言語、西アジア、東南アジア、東アジアの展示を一般公開して、11月17日に博物館の開館となりました。

1989(平成元)年には、総合研究大学院大学(総研大)文化科学研究科の二つの専攻、地域文化学専攻と比較文化学専攻を当館を基盤として設置し、さらに2023(令和5)年には、この2専攻を人類文化研究コースに改編をして、大学院教育にも携わってきました。

2009(平成21)年には、開館以来大きな変更なく継続してきた本館展示の全面改修を開始し、まずアフリカ、西アジアの新しい展示を公開。以後、毎年二つの展示場の改修を順次進めて、2017(平成29)年にその作業を完了しています。

文化人類学関係の研究教育機関として、世界全域をカヴァーする研究者の陣容と研究組織、博物館機能を備えているという点で、みんぱくは世界で唯一の存在です。

創設そして開館以来、3つの展示棟、講堂、特別展示・書庫棟が増設され、みんぱくは、その施設の規模の上で、現在、世界最大の民族学博物館となっています。また、研究の展開とともに世界各地から収集した標本資料(モノの資料)は、34万5千点を超え、20世紀後半以降に収集された民族誌コレクションとしては、世界最大の規模をもつものになっています。

ひとつの機関にとって、50年を経た時期というのは、重要な節目になるものと思われます。その節目の機にあたって、 私たちは、みんぱくの過去の50年を振り返り、現状を見極めて、これから50年先、100年先の人類学のありかたとみんぱくの姿を構想するための一連の事業を実施することにしました。

具体的には、『みんぱく50年史』の編纂・刊行と、「時代の証言」と題する名誉教授の諸氏のインタビュー映像を含めた「館史アーカイブズ」の整備、そして未来を見据えた3度にわたる創設50周年記念国際シンポジウムをはじめ特別研究にかかわる一連のシンポジウムの開催を計画しています。
また、50周年の期間、これはこの2024年1月1日から2024年度の終わり、つまり2025年3月までの期間としていますが、その期間に開催する特別展、この春の「日本の仮面―芸能と祭の世界」、秋の「吟遊詩人の世界」や企画展「水俣病を考える」などの展示や公開講演会にも、創設50周年記念の冠を付けて順次実施していく予定です。そして、こうした研究活動・博物館活動のこれまで以上の拡大に備えて、博物館施設の更新も着実に進めてまいります。

これだけ記念事業が目白押しに続きますので、創設50周年記念式典というのは、開催しない予定です。もともと、民博では、記念式典は、開館記念の際に実施してきていて、創設記念では実施していません。今回も、3年後の2027年の開館50周年の際には、記念式典を挙行することになるだろうと思います。もちろん、それぞれのシンポジウムや特別展の冒頭で、創設50周年記念としてのご挨拶は私のほうでさせていただきます。

年末の報道関係者との懇談会で、記者の方から、民博にとって創設50周年と開館50周年のどちらが重要なのかという質問をいただきました。どちらが重要なのかなどとはこれまであまり考えたことのなかったものですから、不意打ちを食らった感じでしたが、とっさに、あえて言うなら研究機関としてのみんぱくにとっては創設50周年、博物館としてのみんぱくにとっては開館50周年が重要といえるかもしれず、創設と開館を重ねて記念できる機会として開館何十周年の機会に記念式典を開催してきていると言えそうだとお答えしました。

実際、大学共同利用機関としてのみんぱくの屋台骨にあたる共同研究は、みんぱく創設の翌年、博物館の建物がまだできる前の1976年から始まっていました。
私自身は、まだ学部の2回生だった1977年の6月、ですからまだこれも開館前ですが、その6月からアフリカの共同研究にオブザーバーとして加えてもらって、その年の9月に行われる第1回の谷口シンポジウム「東アフリカ牧畜民における部族関係」の準備も手伝っていました。その当時のみんぱくの活発な研究活動を身をもって体験していましたので、やはり研究活動にとっては、創設50周年が重要な節目になると考えたわけです。
とりわけ、50年史の編集や、時代の証言のアーカイブズ構築、50周年記念国際シンポジウムなどはみんぱくの過去50年を振り返り、現状を見極めて、これから50年先、100年先の人類学のありかたとみんぱくの姿を構想するための足固めの事業になります。

いつも申しますが、今、世界は大きな転換点に立っているようです。これまでの、中心とされてきた側が周縁と規定されてきた側を一方的に支配しコントロールするという力関係が変質し、従来それぞれ中心、周縁とされてきた人間集団の間に、創造的なものも破壊的なものも含めて、双方向的な接触と交流、交錯が至るところで起こるようになってきているからです。
その動きのなかで、世界には新たな分断が生じてきています。
一方で、2020年以来のコロナ禍を経験した私たちは、私たち人類の生活が、目に見えないウイルスや細菌の動きと密接に結びついていること、言い換えれば、われわれ人類もあらゆる生命を包含する「生命圏」の一員であることを、身をもって経験することになりました。また、人新世などという時代の呼び方が唱えられ、人間の活動が地球環境そのものに不可逆的な負荷を与えていることが自覚されて、未来を見据えた地球規模での対応に迫られています。
このように、人類全体での協働が必要とされるにも関わらず、それを妨げる力学が働いているというのが今日の状況です。それだけに、人びとが、異なる文化を尊重しつつ、言語や文化の違いを超えてともに生きる世界を築くことが、これまでになく求められています。今ほど、他者への共感に基づき、自己と他者の文解を深めるという、人類学の知、そして民族学博物館の役割が求められている時代はないと思われます。

かねてより、民博は、立場の異なる人びとの知的交流と協働・共創の場、つまり人類の知の「フォーラム」としてみずからを位置づけ、活動を展開してきました。今後は、50年先100年先の世界を見据え、「フォーラム」としての機能、とりわけ人類の記憶の継承とそれに基づく未来の共創の場としての機能をなおいっそう徹底・拡大して、人類共生社会の実現のための指針を示すべく、さらなる活動の展開をはかってゆきたいと考えております。

皆さまのご協力、ご支援を心からお願い申し上げます。

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