デジタル社会における手書きの行方
アラビア書道(khatt ‘arabi)は、アラビア文字を美しく書く手法を追求する芸術である。アラビア語でkhattは「線」を意味するが、アラビア書道においては「書体」を指す。アラビア書道はイスラーム世界を代表する表現芸術である。しかし、絵画のような芸術として書を額装して飾るようになったのは、19世紀以降である。
アラビア文字を使用する文化圏において、アラビア書道は日常生活に彩りを与えるアートであった。カイロの旧市街を歩くと、アラビア書道をあしらった商店や街路名の看板を見かける。日用品の広告や商品ラベル、映画やテレビ番組の題字及びクレジットも、かつては書家が書いていた。しかし、1980年代に入りアラビア文字のコンピューターフォントが登場して以降、書家の仕事は徐々に減少した。
アラビア書道の2021年12月のユネスコ無形文化遺産への登録は、この文化実践が保全を必要としていることを提示した。アラブ諸国でアラビア書道に取り組む人が減少していることは否めない。一方で、マレーシアやトルコといったアラビア文字を使用しない言語のムスリム文化圏や、日本や欧米では、新しい技術や道具、モチーフを取り入れた作品が制作されている。企画展「点と線の美学——アラビア書道の軌跡」は、日常をデザインする「技術」であったアラビア書道が、「芸術」に昇華された軌跡を探求する。
コミュニケーションのデジタル化が進む今日、手で文字を書くことの社会的位置づけは刻一刻と変化している。22世紀を迎えるころ、手で文字を書くことそのものが人類の遺産になっているのかも知れない。20~21世紀のアラビア書道の変容と再生の軌跡は、アラビア文字文化圏の「事例」ではなく、日本に暮らす人々にとっても共感できる、グローバルな経験であると確信している。
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みんぱく創設50周年記念企画展「点と線の美学――アラビア書道の軌跡」